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 今日は、昭和時代後期の1978年(昭和53)に、千葉県成田市に新東京国際空港(現在の成田国際空港)が開港した日(成田空港開港記念日)です。
 成田国際空港(なりたこくさいくうこう)は、千葉県成田市三里塚を中心とする地域に国際空港として建設されました。東京国際空港(羽田空港)の飽和状態に伴って、1962年(昭和37)に新空港建設の方針が閣議決定され、1965年(昭和40)に「新東京国際空港公団法」が成立(1966年7月7日施行)、閣僚会議懇談会が開かれ、富里案に内定します。
 しかし、当初から地域住民の根強い反対がありながらも、1966年(昭和41)に閣議決定により、建設地が正式に千葉県成田市三里塚地区の宮内庁下総御料牧場付近と定められました。同年に新東京国際空港公団 (NAA) が設立され、建設に着手しますが、建設に反対する地元農民、学生、労働者の激しい抵抗や燃料輸送ルートにあたる市町村の反対を受けます。
 その中で、建設が進められ、1971年(昭和46)には、建設予定地で行政代執行が強行され、大きな混乱を生じました。それが尾を引き、1977年(昭和52)にA滑走路や第1ターミナルが完成し、一端開港日を3月30日と決定しましたが、成田空港管制塔占拠事件の発生で延期せざるを得なくなります。
 そして、翌年5月20日にやっと新東京国際空港として開港式を迎えたものの、当初は4000mの滑走路1本だけの運用となりました。1986年(昭和61)に第2期工事に着工、1992年(平成4)に第2旅客ターミナルビルが供用開始、翌年には新管制塔が供用開始(全高92.3m)します。
 2002年(平成14)に、2本目の滑走路・暫定平行滑走路の供用を開始、2004年(平成16)には、新東京国際空港公団が民営化され「成田国際空港株式会社」に改組、正式名称も「成田国際空港」に改称されました。2009年(平成21)にB滑走路を2500mに延伸して供用開始、2015年(平成27)には、第3ターミナルビル(LCC専用ターミナルビル)の利用を開始します。
 東京都心との距離は約66kmで、その間を高速自動車道、鉄道(JR東日本成田線・京成電鉄本線・京成電鉄成田空港線)が結ぶようになりました。

〇成田国際空港関係略年表

・1962年(昭和37)11月16日:新空港建設の方針を閣議決定する
・1963年(昭和38)6月10日:運輸省航空局が検討資料「新東京国際空港」を発行、4000m滑走路2本、3600m滑走路1本、2500m滑走路2本の巨大空港案が計画される(立地箇所未特定)
・1963年(昭和38)8月27日:富里案および霞ヶ浦案を運輸相が提示、富里・八街反対同盟が結成される
・1965年(昭和40)6月1日:新東京国際空港公団法成立(1966年7月7日施行)する
・1965年(昭和40)11月19日:閣僚会議懇談会が開かれ、富里案に内定する
・1966年(昭和41)3月15日:富里村(現・富里市)、八街町(現・八街市)、山武町(現・山武市)、酒々井町、芝山町の5町村長が「富里空港返上声明書」を提出する。
・1966年(昭和41)6月22日:佐藤栄作首相が友納武人千葉県知事に成田市三里塚案を提示する
・1966年(昭和41)7月4日:佐藤栄作内閣が「s:新東京国際空港の位置及び規模について」を閣議決定、建設地が正式に千葉県成田市三里塚地区の宮内庁下総御料牧場付近と定められる
・1966年(昭和41)7月30日:新東京国際空港公団 (NAA) が設立される
・1967年(昭和42)8月1日:「公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律」が公布、施行される
・1971年(昭和46)2月22日:建設予定地で第一次行政代執行が開始される
・1971年(昭和46)9月16日:建設予定地で第二次行政代執行が開始される
・1977年(昭和52)5月6日:4,000メートル滑走路の南側延長上に反対派によって建設された2基の鉄塔が除去される
・1977年(昭和52)5月7日:運輸省航空局のYS-11型機によって、航空保安施設のフライト・チェック(飛行検査)が実施される
・1977年(昭和52)3月26日:成田空港管制塔占拠事件の発生で3月30日開港が事実上不可能になる
・1977年(昭和52)3月28日:新東京国際空港関係閣僚会議において、新空港開港(3月30日)延期を正式に決定する
・1977年(昭和52)4月4日:新東京国際空港関係閣僚会議において『新東京国際空港の開港と安全確保対策要綱』を決定する
・1977年(昭和52)5月20日:新東京国際空港として開港する
・1977年(昭和52)5月21日:開港後の初便である日本航空のロサンゼルス国際空港発の貨物機が着陸する
・1977年(昭和52)5月22日:出発第1便として、大韓航空の貨物機のソウル(金浦国際空港)行きが離陸する
・1977年(昭和52)7月:新東京国際空港警備を目的として千葉県警察に新東京国際空港警備隊が創設される
・1985年(昭和60)6月23日:成田空港手荷物爆発事件が起き、2名が死亡し4名の負傷者が出る
・1986年(昭和61)11月26日:第2期工事に着工する
・1988年(昭和63)3月19日:開港以来の国際旅客1億人を達成する
・1989年(平成元)2月28日:第1旅客ターミナルビル南ウイング附属棟が完成する
・1990年(平成2)11月6日:開港以来の発着回数が100万回を達成する
・1991年(平成3)1月18日:開港以来の航空貨物取扱量1000万トンを達成する
・1992年(平成4)12月6日:第2旅客ターミナルビルが供用開始する
・1993年(平成5)2月2日:新管制塔が供用開始(全高92.3m)する
・1993年(平成5)2月5日:開港以来の国際旅客2億人を達成する
・1997年(平成9)4月3日:開港以来の国際旅客3億人を達成する
・1997年(平成9)10月13日:開港以来の航空貨物取扱量2,000万トンを達成する
・1998年(平成10)12月23日:開港以来の航空機発着回数200万回を達成する
・2002年(平成14)4月18日:2本目の滑走路・暫定平行滑走路の供用を開始する。
・2003年(平成15)5月29日:開港以来の航空貨物取扱量3,000万トンを達成する
・2004年(平成16)4月1日:新東京国際空港公団が民営化され「成田国際空港株式会社」に改組、正式名称も「成田国際空港」に改称する
・2005年(平成17)6月8日:開港以来の離着陸回数が300万回を達成する
・2007年(平成19)11月18日:開港以来の航空貨物取扱量4,000万トンを達成する
・2009年(平成21)10月22日:B滑走路、2500メートル化供用開始する
・2010年(平成22)3月28日:A滑走路を離陸専用、B滑走路を着陸専用に使い分けを開始する
・2015年(平成27)4月8日:第3ターミナルビル(LCC専用ターミナルビル)の利用を開始する
・2018年(平成30)7月3日:定期便を乗り入れる航空会社が、開港以来初の100社に到達する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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