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 今日は、明治時代後期の1910年(明治43)に、青森大火が起き、死者26名、負傷者160名、焼失戸数5,200戸以上を出した日です。
 青森大火(あおもりたいか)は、この日の午前11時48分頃に、青森市安方町の菓子製造工場の煙突からでた火の粉が原因で発生した火災でした。乾いた強い西風に煽られて飛び火し、蓮華寺から博労町、堤川を越えて柳原遊郭にまで燃え広がり、青森歩兵第五聯隊は兵士350名を出動させ、県庁周辺の破壊消防に従事させたりして、ようやく4時間半後に鎮火します。
 市街地は古川、長島、浦町を除く東西1.6km、南北0.5kmの幅で殆どが焼失し、市役所、市立病院、郵便局、郡役所、警察署、市立図書館、新町尋常小学校、橋本尋常小学校などの公共施設、善知鳥神社、事代主神社、安定寺、常光寺、蓮華寺、蓮心寺、聖アンデレ教会、メソジスト教会、日本キリスト教会、天主公教会などの寺社教会、他にも新聞社・銀行など多数の建物が失われました。これによって、死者26名、負傷者160名、焼失戸数5,200戸以上(市内の約6割)、罹災者34,000名にのぼる大惨事となります。
 これに対し、全国からの義援金160,000円が寄せられ、明治天皇も特別に救恤金10,000円を下賜しました。その後、青森市は同年5月17日「青森市建築取締り規則」を制定し、不燃建材での屋根葺きやコミセの廃止などをすすめ、防火道路として、浦町駅通りと柳町通りを拡張、火防用水堰の整備などの対策をとっています。

〇日本の明治時代の大火一覧(4,000戸以上焼失した火事)

・1872年(明治5年2月26日) - 銀座大火(東京・銀座)焼死8名、負傷者60名、焼失戸数4,874戸
・1880年(明治13年)8月7日 - 新潟大火(新潟県新潟町)焼失戸数6,000戸以上
・1881年(明治14年)1月26日 - 両国大火(東京・両国)焼失戸数15,000余戸
・1909年(明治42年)7月31日 - 北の大火(大阪府大阪市)焼失戸数11,365戸
・1910年(明治43年)5月3日 - 青森大火(青森県青森市)死者26名、負傷者160名、焼失戸数5,200戸以上
・1911年(明治44年)4月9日 - 吉原大火(東京府江戸町2丁目発生)焼失戸数6,573戸
・1912年(明治45年)1月16日 - 南の大火(大阪市南区)死者4名(消防夫2名を含む)、焼失戸数5,200戸

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1868年(慶応4)戊辰戦争で奥羽の反官軍25藩による奥羽列藩同盟が成立する(新暦6月22日)詳細
1962年(昭和37)国鉄で三河島事故が起こり、列車三重衝突により、死者160人・負傷者296人を出す詳細