今日は、昭和時代中期の1947年(昭和22)に、長野県の飯田大火で、4,010戸が焼失した日です。
飯田大火(いいだたいか)は、長野県飯田市において、午前11時48分頃に上常盤町(現在の扇町)の民家の煙突の火の粉を原因に火災が発生、連日の乾燥に加え、折からの南風(平均風速10mほど)にあおられて、瞬く間に燃え広がりました。警防団(消防団)による初期消火も失敗し、火の手は桜町、吾妻町鈴加町、宮の前、高羽町へと拡散、約10時間ほど延焼が続き(完全鎮火は翌日の午後9時頃)、旧城下の面影をよく残し「飯田美しき町」と讃えられた飯田の街は、灰燼に帰します。
これによる被害は、死者・行方不明者3名、重傷者80名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha(飯田中心街の約7割)、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名、損害額は当時の金額で推定15億円とされました。国内の戦後における大火の中でも、罹災戸数において、1952年(昭和27)4月17日の鳥取大火に次ぐ大惨事とされています。
翌年から、火災復興が始まり、防災に強い、近代都市的な町並みや公共施設、りんご並木や裏界線などを造りました。防火帯道路の緑地帯には、地元中学生により、りんごの木が植樹され、飯田りんご並木として復興のシンボルとなっています。
〇太平洋戦争後の日本の大火(500棟以上の焼失で、地震によるものを除く)
・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451人
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1546年(天文15) | 河越城の戦いで北条氏康が河越城包囲の上杉方を夜襲し勝利する(新暦5月19日) | 詳細 |
1651年(慶安4) | 江戸幕府三代将軍徳川家光の命日(新暦6月8日) | 詳細 |