今日は、昭和時代後期の1978年(昭和53)に、洋画家東郷青児の亡くなった日です。
東郷青児(とうごう せいじ)は、明治時代後期の1897年(明治30)4月28日に鹿児島市に生まれましたが、本名は東郷鉄春と言いました。幼少時に一家は東京に転居し、余丁町小学校で学び、1910年(明治43)の13歳の時、青山学院中学部へ入学します。
1914年(大正3)に青山学院中等部を卒業しますが、この頃日本橋呉服町に竹久夢二が開いた「港屋絵草紙店」に出入りし、下絵描きなどを手伝いました。1915年(大正4)に日比谷美術館で初個展を開き、この頃有島生馬を知って師事、1916年(大正5)の第3回二科展に初出品した『パラソルさせる女』により二科賞を受賞します。
1921年(大正10)の24歳の時、フランス留学し、国立高等美術学校に学び、ギャラリー・ラファイエット百貨店の装飾美術のデザイナーとして働き、1928年(昭和3)に帰国しました。その後の第15回二科展に留学中に描いた『サルタンバンク』等の作品23点を出品、第1回昭和洋画奨励賞を受賞し、注目されます。
恋愛関係のもつれからガス自殺未遂事件を図ったりしたものの、1930年(昭和5)にジャン・コクトーの『怖るべき子供たち』を翻訳、白水社より刊行、翌年には、二科会の会員となりました。1938年(昭和13)、二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問となり、尽力しましたが、戦時中の1944年(昭和19)に二科会は解散を余儀なくされます。
太平洋戦争後は、二科会の再建に尽力、1953年(昭和28)には、自身の発案により写真部が創設されたりしました。1957年(昭和32)の60歳の時、岡本太郎と共に日活映画『誘惑』に特別出演(西郷赤児役)、日本芸術院賞を受賞、同年と1959年(昭和34)に日本国際美術展で大衆賞も受賞しています。
甘美な色調と装飾性をもつ女性像を多く描き、1960年(昭和35)に日本芸術院会員となり、1961年(昭和36)から二科会会長に就任、1969年(昭和44)には、フランス政府より芸術文化勲章(オフィシエ)を授与されました。1976年(昭和51)に勲二等旭日重光章授与され、東京・西新宿に東郷青児美術館(現在のSOMPO美術館)が開設されましたが、1978年(昭和53)4月25日に第62回二科展(熊本県立美術館)出席のため訪れていた熊本市にて、急性心不全のため80歳で亡くなっています。尚、没後、文化功労者、勲二等旭日重光章、正四位が追贈されました。
〇東郷青児の主要な作品
・『パラソルさせる女』(1916年)二科賞受賞
・『サルタンバンク』(1926年)東京国立近代美術館蔵
・『ノスタルジ』
・『創生の歌』(1956年)旧大洋デパート壁画 芸術院賞受賞
☆東郷青児関係略年表
・1897年(明治30)4月28日 鹿児島市に生まれる。幼少時に一家は東京に転居。余丁町小学校では林武と同級。
・1910年(明治43) 13歳の時、青山学院中学部へ入学する
・1914年(大正3) 青山学院中等部を卒業。青児の名前の由来はここからきていると言われている[2]。このころ日本橋呉服町に竹久夢二が開いた「港屋絵草紙店」に出入りし、下絵描きなどを手伝う
・1915年(大正4) 山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作。日比谷美術館で初個展、この頃有島生馬を知り、以後師事。
・1916年(大正5) 第3回二科展に初出品した『パラソルさせる女』により二科賞を受賞する
・1920年(大正9) 永野明代(はるよ)と結婚する
・1921年(大正10) 24歳の時、フランス留学し、国立高等美術学校に学ぶ
・1924年(大正13) ギャラリー・ラファイエット百貨店のニース支店とパリ本店で装飾美術のデザイナーとして働く
・1928年(昭和3) フランスに留学から帰国する
・1928年(昭和3) 第15回二科展に留学中に描いた作品23点を出品、第1回昭和洋画奨励賞を受賞する
・1929年(昭和4)2月 既婚のまま中村修子と結婚披露宴を挙げる
・1929年(昭和4)3月 愛人の西崎盈子(みつこ)とメスで頸動脈を切り、ガス自殺をはかったが、救出される
・1930年(昭和5) ジャン・コクトーの『怖るべき子供たち』を翻訳、白水社より刊行。
・1931年(昭和6) 34歳の時、二科会の会員となる
・1933年(昭和8) 宇野千代と別れ、妻の明代とも離婚する
・1934年(昭和9) 情死未遂事件の相手、みつ子と結婚する
・1938年(昭和13) 二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問になる
・1940年(昭和15) みつ子との間に長女、東郷たまみが誕生する
・1951年(昭和26) 歌舞伎座用の緞帳を制作する
・1953年(昭和28) 東郷青児の発案により二科会に写真部が創設される
・1957年(昭和32) 60歳の時、岡本太郎と共に日活映画『誘惑』に特別出演(西郷赤児役)、日本芸術院賞を受賞する
・1957年(昭和32) 日本国際美術展で大衆賞を受賞
・1959年(昭和34) 日本国際美術展で大衆賞を受賞
・1960年(昭和35) 日本芸術院会員となる
・1961年(昭和36) 64歳の時、二科会会長に就任する
・1969年(昭和44) 72歳の時、フランス政府より芸術文化勲章(オフィシエ)を授与される
・1974年(昭和49) アルジェリアのタッシリを探訪する
・1976年(昭和51) 勲二等旭日重光章授与され、東京・西新宿に東郷青児美術館(現在のSOMPO美術館)が開設される
・1978年(昭和53)4月25日 第62回二科展(熊本県立美術館)出席のため訪れていた熊本市にて、急性心不全のため死去する
・1978年(昭和53) 没後、文化功労者、勲二等旭日重光章、正四位追贈される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
722年(養老6) | 百万町歩開墾計画が出される(新暦6月13日) | 詳細 |
1613年(慶長18) | 武将大久保長安の命日(新暦6月13日) | 詳細 |