今日は、江戸時代中期の1772年(明和9)に、江戸で明和の大火(目黒行人坂大火)が起こり、死者1万4千人以上を出した日ですが、新暦では4月1日となります。
明和の大火(めいわのたいか)は、江戸の目黒行人坂(現在の東京都目黒区下目黒一丁目付近)の大円寺で、午後1時頃に武州熊谷無宿の僧・真秀が盗みを働くために寺の蔵に火をつけたのが出火原因となりました。折からの強い南西風にあおられて、麻布・芝から江戸城郭内・京橋・日本橋・神田・本郷・下谷・浅草などに延焼、千住まで達して一旦は小塚原の辺りで鎮火したものの、午後6時頃に再び本郷から出火し、駒込、根岸を焼いています。
その後、翌日の昼頃には再度鎮火したかに見えたのですが、翌々日の午前10時頃に馬喰町付近から再々出火し、今度は東に燃え広がって日本橋の界隈がほぼ壊滅しました。それらによって、934の町を焼き、大名屋敷は169、橋は170、寺は382を数え、山王神社、神田明神、湯島天神、浅草本願寺、湯島聖堂も被災、死者は1万4700人、行方不明者は4千人を超えたと言われています。
それでも、115年前の1657年(明暦3)に起きた明暦の大火(死者10万人以上)と比べると死者も少なく、明暦の大火の教訓とその後の対策がある程度効果を発揮したとも言われてきました。この大火は、明暦の大火、文化の大火と共に江戸三大大火とされていますが、出火地の名をとって「目黒行人坂大火」とも呼ばれています。
尚、江戸幕府は火事を起こした犯人である僧・真秀を捕らえて市中引き回しの上、小塚原で火刑に処しています。
〇江戸時代の大火一覧
・1657年(明暦3年1月18日、19日) 江戸の「明暦の大火」江戸時代最大の火事で、死者は最大で10万7千人と推計、江戸城天守焼失
・1683年(天和2年12月28日) 江戸の「天和の大火」(八百屋お七の火事)死者830–3,500人
・1708年(宝永5年3月8日) 京都の「宝永の大火」 家屋1万軒以上を焼失
・1724年(享保9年3月21日) 大坂の「妙知(智)焼け」11,765軒を焼失、死者293人
・1760年(宝暦10年2月6日) 江戸の「宝暦の大火」460町、寺社80ヶ所焼失
・1772年(明和9年2月29日) 江戸の「明和の大火」死者1万4,700人、行方不明者4,060人
・1788年(天明8年1月30日) 京都の「天明の大火」京都の歴史上最大といわれ、家屋は3万6,797軒焼失、死者150人
・1806年(文化3年3月4日) 江戸の「文化の大火」焼失家屋12万6千戸、死者1,200人超、焼失した町530・大名屋敷80・寺社80
・1829年(文政12年3月21日) 江戸の「文政の大火」死者2,800、焼失家屋37万戸
・1837年(天保8年2月19日) 大坂の「大塩焼け」大塩平八郎の乱によるもので、死者270人以上
・1863年(文久3年11月21日) 大坂の「新町焼け(新町橋焼け・五幸町の大火)」
・1864年(元治元年7月19日) 京都の「元治の大火」