今日は、江戸時代前期の1666年(寛文6)に、儒学者・思想家・文献学者荻生徂徠が生まれた日ですが、新暦では3月21日となります。
荻生徂徠(おぎゅう そらい)は、江戸において、館林藩主・徳川綱吉(のちの第5代将軍)の侍医だった父・荻生景明の子として生まれましたが、名は雙松(なべまつ)と言いました。幼い頃から学問に優れ、林春斎・林鳳岡に学びましたが、1679年(延宝7)の14歳の時、綱吉の怒りに触れた父が江戸払いに処され、家族で母の故郷である上総国長柄郡本納村(現在の千葉県茂原市)に移ります。
ここで農村生活を体験しながら、『四書大全』などを読み、大内流軍学を外祖父から学びました。1692年(元禄5)の25歳の頃、父が赦免されて一家は江戸に戻り、自身は芝の増上寺付近で私塾を開きます。
1696年(元禄9)に将軍・綱吉の側近で側用人の柳沢保明(吉保)に抜擢され、15人扶持を支給され、『晋書』など中国の史書の校注・出版や、また綱吉の伝記『憲廟(けんびょう)実録』の編纂などに従事、その功績により禄高500石にまで昇進しました。柳沢邸で講学、ならびに政治上の諮問に応え、将軍・綱吉の知己も得て、1702年(元禄15)の赤穂浪士討ち入りに際しては、処断については法に則り厳罰に処すべきと『擬自律書』により切腹を上申します。
1705年(宝永2)に吉保が甲府藩主となると、翌年には命により甲斐国を見聞し、紀行文『風流使者記』、『峡中紀行』として記しました。1707年(宝永4)の40歳の頃、中国古代の言語や文章の実証的研究を進め、古文辞学という新しい学風を樹立、1709年(宝永6)に綱吉の死去と吉保の失脚にあって、柳沢邸を出て日本橋茅場町に居を移し、そこで私塾・蘐園塾を開きます。
門人として太宰春台、服部南郭らが集い、多くの優れた学者や文人を育て、蘐園学派を形成しました。その中で、1714年(正徳4)に『蘐園随筆』を出版、1715年(正徳5)に辞書『訳文筌蹄』を刊行、1717年(享保2)に儒学書『弁名』、『弁道』を著し、1721年(享保6)には幕府から『六諭衍義』に訓点をつけることを命ぜられます。
1722年(享保7年)以降は、第8代将軍・徳川吉宗の信任を得て、その諮問にあずかりましたが、1728年(享保13年1月19日)に江戸において、病気により、数え年63歳で亡くなりました。
〇荻生徂徠の主要な著作
・紀行文『風流使者記』(1706年)
・紀行文『峡中紀行』(1706年)
・随筆『蘐園随筆』(1714年)
・辞書『訳文筌蹄(やくぶんせんてい)』(1715年刊)
・儒学書『弁名(べんめい)』(1717年)
・儒学書『弁道(べんどう)』(1717年)
・随筆『南留別志(なるべし)』(1736年刊)
・意見書『政談』(享保年間成立)
・経世論書『太平策』(享保年間成立)
・学問書『学則』
・『徂徠先生答問書』
・『赤穂四十六士論』
・注釈書『論語徴(ろんごちょう)』
・注釈書『大学解』
・注釈書『中庸解(ちゅうようかい)』
・法律書『明律国字解(みんりつこくじかい)』
・歌集『徂徠集』
・兵学書『録(けんろく)』
☆荻生徂徠関係略年表(日付は旧暦です)
・1666年(寛文6年2月16日) 江戸において、第5代将軍・徳川綱吉の侍医だった父・荻生景明
・1679年(延宝7年) 当時館林藩主だった徳川綱吉の怒りにふれた父が江戸から放逐され、それによる蟄居にともない、14歳にして家族で母の故郷である上総国長柄郡本納村(現・茂原市)に移る
・1692年(元禄5年) 25歳の頃、父が赦免されて一家は江戸に帰り、徂徠は芝の増上寺付近で私塾を開く
・1696年(元禄9年) 将軍・綱吉側近で幕府側用人・柳沢吉保に抜擢され、吉保の領地の川越で15人扶持を支給されて彼に仕えた
・1702年(元禄15年) 赤穂浪士討ち入りの処断の時に法にのっとり厳罰に処すべきと『擬自律書』により切腹を上申する
・1705年(宝永2年) 吉保が甲府藩主となる
・1706年(宝永3年) 吉保の命により甲斐国を見聞し、紀行文『風流使者記』、『峡中紀行』として記す
・1707年(宝永4年) 40歳の頃、中国古代の言語や文章の実証的研究を進め、古文辞学という新しい学風を樹立する
・1709年(宝永6年) 綱吉の死去と吉保の失脚にあって柳沢邸を出て日本橋茅場町に居を移し、そこで私塾・蘐園塾を開く
・1714年(正徳4年) 『蘐園随筆』を出版する
・1715年(正徳5年) 辞書『訳文筌蹄(やくぶんせんてい)』を刊行する
・1717年(享保2年) 『弁名(べんめい)』、『弁道(べんどう)』を著す
・1721年(享保6年) 幕府から『六諭衍義(りくゆえんぎ)』に訓点をつけることを命ぜられる
・1722年(享保7年) 第8代将軍・徳川吉宗の信任を得て、その諮問にあずかる
・1728年(享保13年1月19日) 江戸において、病気によって数え年63歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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1884年(明治17) | 日本画家・能書家安田靫彦の誕生日 | 詳細 |