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 今日は、江戸時代後期の1856年(安政3)に、江戸幕府が洋学所を「蕃書調所」と改称した日ですが、新暦では3月17日となります。
 蕃書調所(ばんしょしらべしょ)は、江戸幕府が設けた洋学研究機関で、後に開成所(東京大学の前身の一つ)に発展しました。1744年(延享元)に江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が外神田に天文台を建て、1811年(文化8)に天文方から新しく蕃書和解(ばんしょわげ)御用方が設けられて、蘭学等の研究が行われていました。しかし、1853年(嘉永6)に黒船(ペリー艦隊)が来航して開国を要求、翌年に「日米和親条約」が締結される中で、専任の外交担当官と翻訳官が必要となり、蕃書和解御用方が多忙となります。
 蘭学にとどまらない洋学研究の必要が痛感され、1855年(安政2)に御用方は「洋学所」と改めて独立したものの、同年10月2日の安政江戸地震で建物が全壊焼失してしまいました。そこで、1856年(安政3年2月11日)に幕府は洋学所を「蕃書調所」と改称し、江戸飯田町九段坂下の竹本正雅(図書頭、中奥小姓)屋敷地に建物を建てることとし、翌年1月18日に開場、幕府旗本・御家人等の子弟も洋学教育を受けられるようになります。
 同所の役割は、洋書洋文の翻訳・研究、洋学教育、洋書・翻訳書などの検閲、印刷・出版、一部の技術伝習とされ、これを担当する教授方には、箕作阮甫、杉田成卿、松木弘安(のちの寺島宗則)、村田蔵六(のちの大村益次郎)ら著名な洋学者が任ぜられ、生徒数は100人ほどでした。1858年(安政5)からは、藩士の入学も認められるようになり、1860年(万延元)に小川町に移転、英・仏・独の外国語、および精煉・器械・物産・数学などの科学技術部門諸科が次々に開設されていきます。
 1862年(文久2)に一橋門外護持院原(神田一ツ橋通り)の広大な建物に移転し、「洋書調所」と改称してに開校、翌年には、「開成所」となりました。1864年(元治元)に「開成所規則」が制定され、オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語の5ヶ国語のほか、天文学、地理学、窮理学、数学、物産学、化学、器械学、画学、活字術の9学科が定められましたが、1868年(明治元)に幕府が倒れると、開成所は明治新政府に接収され、官立の開成学校と改称されます。
 翌年には、大学南校(現在の東京大学法学部・文学部・理学部の前身)となり、1877年(明治10)には、東京医学校と統合されて、東京大学が設立されました。

〇蕃書調所関係略年表(日付は旧暦です)

・1744年(延享元年) 徳川吉宗が外神田に天文台を建てる
・1811年(文化8年) 天文方から新しく蕃書和解(ばんしょわげ)御用方が設けられる
・1853年(嘉永6年6月) 黒船(ペリー艦隊)が来航する
・1854年(安政元年3月) 「日米和親条約」締結の中で、蕃書和解御用方が多忙となる
・1855年(安政2年8月30日) 御用方は「洋学所」と改めて独立する
・1855年(安政2年10月2日) 安政江戸地震で全壊焼失する
・1856年(安政3年2月11日) 幕府は洋学所を「蕃書調所」と改称する
・1856年(安政3年2月13日) 江戸飯田町九段坂下の竹本正雅(図書頭、中奥小姓)屋敷地に設立する
・1857年(安政4年1月18日) 開場し、幕府旗本・御家人等の子弟も洋学教育を受けられるようになる
・1858年(安政5年) 藩士の入学も認められるようになる
・1860年(万延元年) 小川町に移転する
・1860年(万延元年7月) プロシア東洋遠征艦隊来航の際、蕃書調所の市川斎宮が「独逸学」を学ぶ公命を受ける
・1862年(文久2年) 学問所奉行および林大学頭の管轄下に入り、幕府官立学校となる
・1862年(文久2年) 洋書調所に独逸学科が開設される
・1862年(文久2年5月18日) 一橋門外護持院原(神田一ツ橋通り)に移転する
・1862年(文久2年5月23日) 「洋書調所」と改称してに開校する
・1863年(文久3年8月29日) 洋書調所を「開成所」に改称する
・1864年(元治元年) 「開成所規則」が制定され、オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語の5ヶ国語のほか、天文学、地理学、窮理学、数学、物産学、化学、器械学、画学、活字術の9学科が定められる
・1868年(明治元年) 幕府が倒れ、開成所は明治新政府に接収され、官立の開成学校と改称される
・1869年(明治2年12月17日) 大学南校(現在の東京大学法学部・文学部・理学部の前身)となる(医学校が大学東校)
・1877年(明治10年) 東京医学校と統合されて、東京大学が設立される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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