今日は、平成時代の1997年(平成9)に、小説家藤沢周平の亡くなった日です。
藤沢周平(ふじさわ しゅうへい)は、昭和時代前期の1927年(昭和2)12月26日に、山形県東田川郡黄金村(現在の鶴岡市高坂)で農業を営む父・小菅繁蔵と母・たきゑの第4子として生まれましたが、本名は小菅留治(こすげ とめじ)と言いました。1946年(昭和21)に山形県立鶴岡中学校(現在の鶴岡南高校)夜間部を卒業後、山形師範学校(現在の山形大教育学部)に入学し、文芸に親しみます。
1949年(昭和24)に卒業後、中学校教師となったものの、結核が見つかり、2年で退職し、1952年(昭和27)に東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市)の篠田病院に入院し、5年間の闘病生活を送りました。退院後、1957年(昭和32)から業界紙の編集に携わるようになり、1960年(昭和35)には株式会社日本食品経済社に入社、『日本食品加工新聞』の記者となります。
その一方で、1963年(昭和38)から小説の投稿を始め、『赤い夕日』が読売新聞短編小説賞の選外佳作となり、1965年(昭和40)から藤沢周平のペンネームを使いはじめました。1971年(昭和46)に『溟い海』で、第38回「オール讀物」新人賞受賞、1973年(昭和48)に『暗殺の年輪』で、第69回直木賞受賞、1974年(昭和49)には日本食品経済社を退社して、本格的な作家生活に入ります。
不遇な下級武士や市井に生きる庶民を描いたものを中心に時代小説、歴史小説の各分野で幅広く活躍し、流行作家となって、作品のテレビドラマ化や映画化もされました。1985年(昭和60)に直木賞選考委員、1986年(昭和61)に『白き瓶―小説 長塚節』で、第20回吉川英治文学賞、1989年(平成元)に『市塵』で、第40回芸術選奨文部大臣賞、同年に作家生活全体の功績に対して、第37回菊池寛賞と数々の栄誉に輝きます。
さらに、1994年(平成6)に朝日賞受賞、第10回東京都文化賞を受賞、翌年には紫綬褒章を受章しましたが、1997年(平成9)1月26日に東京において、69歳で亡くなりました。尚、2010年(平成22)に出身地の鶴岡市に「鶴岡市立藤沢周平記念館」が開館しています。
〇藤沢周平の主要な著作
・『溟(くら)い海』(1971年)オール読物新人賞受賞
・『暗殺の年輪』(1973年)第69回直木賞を受賞
・『闇(やみ)の梯子(はしご)』(1974年)
・『又蔵の火』(1974年)
・『用心棒日月抄(ようじんぼうじつげつしょう)』(1976年)
・『一茶(いっさ)』(1977年)
・「回天の門』(1979年)
・『闇の傀儡師』(1980年)
・『春秋の檻』(1980年)
・『孤剣』(1980年)
・『夜の橋』(1981年)
・『密謀』(1982年)
・『愛憎の檻』(1982年)
・連作短編集『用心棒日月抄』(1983年)
・『海鳴り』(1984年)
・『白き瓶(かめ)―小説 長塚節(たかし)』(1985年)吉川英治文学賞受賞
・『風の果て』(1985年)
・『本所しぐれ町物語』(1987年)
・『たそがれ清兵衛』(1988年)
・『蝉(せみ)しぐれ』(1988年)
・『市塵(しじん)』(1989年)芸術選奨文部大臣賞受賞
・『三屋清左衛門残日録』(1989年)
・『玄鳥』(1991年)
・長編『漆の実のみのる国』(1997年)
・『日暮れ竹河岸(たけがし)』(1996年)
・時代小説集『静かな木』(1998年)
・エッセイ集『小説の周辺』(1986年)
・『早春―その他』(1998年)
・自伝『半生の記』(1994年)
・『漆の実のみのる国』(1996年)遺作
☆藤沢周平関係略年表
・1927年(昭和2)12月26日 山形県東田川郡黄金村(現在の鶴岡市高坂)の農家である父・小菅繁蔵と母・たきゑの第4子として生まれる
・1934年(昭和9) 青龍寺尋常高等小学校へ入学する
・1942年(昭和17) 15歳の時、黄金村国民学校高等科を卒業する
・1946年(昭和21)3月 山形県立鶴岡中学校(現在の鶴岡南高校)夜間部を卒業する
・1946年(昭和21)4月 山形師範学校(現在の山形大教育学部)に入学する
・1949年(昭和24)3月 山形師範学校(現在の山形大教育学部)を卒業する
・1949年(昭和24)4月 山形県西田川郡湯田川村立湯田川中学校へ赴任し、国語と社会を担当する
・1951年(昭和26) 『砕氷船』の後継誌である『プレリュウド』に参加する
・1952年(昭和27)2月 東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市)の篠田病院に入院する
・1957年(昭和32) 業界紙の編集に携わる
・1959年(昭和34) 三浦悦子と結婚する
・1960年(昭和35) 株式会社日本食品経済社に入社、『日本食品加工新聞』の記者となる
・1963年(昭和38) 小説の投稿を始める
・1963年(昭和38) 『赤い夕日』が読売新聞短編小説賞の選外佳作となる
・1963年(昭和38) 長女・展子が生まれ、東京都清瀬市上清戸で間借り生活を始める
・1963年(昭和38)10月 妻・悦子が急逝する
・1965年(昭和40) 藤沢周平のペンネームを使いはじめる
・1969年(昭和44) 高澤和子と再婚する
・1970年(昭和45) 東京都東久留米市に引っ越しする
・1971年(昭和46) 『溟(くら)い海』で、第38回「オール讀物」新人賞を受賞する
・1973年(昭和48) 『暗殺の年輪』で、第69回直木賞を受賞する
・1974年(昭和49) 日本食品経済社を退社して、本格的な作家生活に入る
・1976年(昭和51) オール讀物新人賞選考委員となる
・1985年(昭和60) 直木賞選考委員となる
・1986年(昭和61) 『白き瓶(かめ)―小説 長塚節(たかし)』で、第20回吉川英治文学賞受賞する
・1988年(昭和63) 山本周五郎賞選考委員となる
・1989年(平成元) 『市塵(しじん)』で、第40回芸術選奨文部大臣賞を受賞する
・1989年(平成元) 作家生活全体の功績に対して、第37回菊池寛賞を受賞する
・1994年(平成6) 朝日賞受賞、第10回東京都文化賞を受賞する
・1995年(平成7) 紫綬褒章を受章する
・1997年(平成9)1月26日 東京において、69歳で亡くなる
・1997年(平成9) 鶴岡市特別顕彰、山形県県民栄誉賞を受賞する
・2010年(平成22)4月29日 出身地の鶴岡市に「鶴岡市立藤沢周平記念館」が開館する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
2006年(平成18) | 「重要文化的景観」第1号として滋賀県の「近江八幡の水郷」が国から選定される | 詳細 | |||||
2013年(平成25) | 小説家安岡章太郎の命日 | 詳細 |