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 今日は、平安時代後期の1103年(康和5)に、第74代の天皇とされる鳥羽天皇が生まれた日ですが、新暦では2月24日となります。
 鳥羽天皇(とばてんのう)は、京都において、堀河天皇の第一皇子(母は贈皇太后・藤原苡子)として生まれましたが、名は宗仁(むねひと)と言いました。生後間もなく母・苡子が没し、祖父の白河法皇の下に引き取られて養育され、7ヶ月で立太子されます。
 1107年(嘉承2)に父・堀河天皇が亡くなり、5歳で即位しましたが、実際の政務は白河法皇が執りました。1114年(永久2年)と1117年(永久5年)に内裏歌合を催し、同年に白河法皇の養女である藤原璋子(待賢門院)が入内、翌年には中宮となります。
 1118年(永久6年)に諸国飢饉で、京中の道路に餓死者あふれ、勅願寺として最勝寺を建立、1121年(保安2)にも伊賀・伊勢地方一帯が大きな台風の被害を受けるなどしました。1123年(保安4)に第一皇子の顕仁親王(崇徳天皇)に譲位、1129年(大治4)の白河法皇崩御の後、院政を敷き、宇治に蟄居していた前関白・藤原忠実をに呼び戻し、娘の泰子(高陽院)を入内させ、皇后とします。
 1133年(長承2)頃から藤原得子(美福門院)を寵愛するようになり、1135年(保延元)に子(叡子内親王)を成し、1139年(保延5)には皇子・体仁親王が誕生しました。その子を生後3ヶ月で皇太子とし、1141年(永治元)崇徳天皇を譲位させ、3歳で皇位につけ(近衛天皇)、同年自分は東大寺戒壇院で受戒して法皇となります。
 1155年(久寿2年)に近衛天皇が17歳で後嗣もないまま早世すると、第四皇子で崇徳上皇の同母弟である雅仁親王(後白河天皇)を即位させました。このようにして、崇徳、近衛、後白河の3天皇の28年間院政を行ない、寄進地系荘園を大量に認め、自らも安楽寿院、八条女院、歓喜光院領荘園などを膨大に集積し、摂関家を院近臣として従属させ、伊勢平氏を政権の基盤にとりこむなど、専制的な政治を行います。
 一方、催馬楽、音律、典故に長じ、和歌も八首が勅撰入集、仏教を信じて最勝寺、六勝寺など諸寺を創建、20回を超える熊野詣でを行いました。しかし、1156年(保元元年7月2日)に、京都において、数え年54歳で亡くなり、陵墓は現在の京都市伏見区にある安楽寿院陵とされています。

<代表的な歌>

・「尋ねつる われをや花も まちつらむ けふぞ盛りに 匂ひましける」(金葉和歌集)
・「心あらば 匂ひを添へよ 桜花 のちの春をば いつか見るべき」(千載和歌集)
・「つねよりも むつましきかな 時鳥 しでの山路の 友とおもへば」(千載和歌集)

〇鳥羽天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・1103年(康和5年1月16日) 京都において、堀河天皇の第一皇子(母は贈皇太后・藤原苡子)として生まれる
・1103年(康和5年1月25日) 生後間もなく母・苡子が没し、祖父の白河法皇の下に引き取られて養育される
・1103年(康和5年8月) 7ヶ月で立太子される、
・1107年(嘉承2年7月19日) 父・堀河天皇の死後、5歳で即位するが、実際の政務は白河法皇が執る
・1114年(永久2年) 内裏歌合を催す
・1117年(永久5年) 内裏歌合を催す
・1117年(永久5年12月13日) 白河法皇の養女である藤原璋子(待賢門院)が入内する
・1118年(永久6年1月26日) 藤原璋子が中宮となる
・1118年(永久6年) 諸国飢饉で、京中の道路に餓死者あふれる
・1118年(元永元年) 最勝寺を建立する
・1121年(保安2年8月25日) 伊賀・伊勢地方一帯、大きな台風の被害を受ける
・1123年(保安4年1月23日) 第一皇子の顕仁親王(崇徳天皇)に譲位する
・1125年(天治2年12月) 京都で大火がある
・1127年(大治2年) 大治の「荘園整理令」が出される
・1129年(大治4年) 白河法皇崩御の後、院政を敷く
・1131年(天承元年) 白河法皇の勅勘を受けて宇治に蟄居していた前関白・藤原忠実をに呼び戻し、娘の泰子(高陽院)を入内させ、上皇の妃としては異例の皇后とした
・1133年(長承2年)頃 藤原得子(美福門院)を寵愛する
・1135年(保延元年12月4日) 藤原得子が叡子内親王を出産する
・1137年(保延3年2月) 興福寺僧徒、神木を奉じ入京強訴する
・1139年(保延5年5月18日) 藤原得子が皇子・体仁親王(後の近衛天皇)を出産する
・1141年(永治元年) 23歳であった顕仁親王(崇徳天皇)に譲位し、太上天皇となる
・1142年(永治元年12月7日) 得子所生の第九皇子・体仁親王(近衛天皇)を3歳で即位させる
・1142年(康治元年) 東大寺戒壇院で受戒し法皇となる
・1150年(久安6年8月) 興福寺、春日神人が入京強訴する
・1155年(久寿2年) 近衛天皇が早世すると、第四皇子で崇徳上皇の同母弟である雅仁親王(後白河天皇)を即位させる
・1112年(天永3年) 60歳の御賀の際、自ら催馬楽を披露する
・1156年7月20日(保元元年7月2日) 京都において、数え年54歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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