今日は、明治時代前期の1872年(明治5)に、彫刻家平櫛田中の生まれた日ですが、新暦では2月23日となります。
平櫛 田中(ひらくし でんちゅう)は、岡山県後月郡西江原村(現在の井原市西江原町)の田中家に生まれましたが、本名は倬太郎(たくたろう)と言いました。1882年(明治15)、10歳の時に広島県沼隈郡今津村(現在の福山市今津町)の平櫛家の養子となり、1893年(明治26)には、大阪の人形師・中谷省古に弟子入りし、木彫の手ほどきを受けます。
1897年(明治30)に上京し、台東区の長安寺に寄宿、翌年に高村光雲に師事、また西山禾山の臨済録の提唱を聞き、影響を受けました。1901年(明治34)に日本美術協会美術展に『唱歌君ヶ代』を出品して銀牌を受賞、翌年に三々会会員となり、1907年(明治40)には、米原雲海,山崎朝雲らと日本彫刻会を結成します。
1907年(明治40)に文部省美術展覧会(文展)第1回展に『姉ごころ』を出品し入選、翌年には日本彫刻会第1回展に『活人箭』を出品して、岡倉天心に認められました。1910年(明治43)の第5回文展で『維摩一黙』が3等となり、1914年(大正3)に再興第1回院展に西山禾山をモデルとした『禾山笑』等を出品、同人に推挙され、院展彫刻の中心作家として活躍します。
1942年(昭和17)に第2回野間美術賞を受賞、文展審査員ともなり、1944年(昭和19)には東京美術学校(現・東京芸術大学)の教授、帝室技芸員ともなりました。太平洋戦争後は、1953年(昭和28)に日展審査員、1954年(昭和29)に文化功労者となり、1958年(昭和33)には22年の歳月をかけた彩色木像『鏡獅子』を完成させます。
1958年(昭和33)に日本美術院理事、1962年(昭和37)に文化勲章受章、1965年(昭和40)には東京芸術大学名誉教授など数々の栄誉を受けました。1970年(昭和45)に東京都小平市学園西町に転居、1972年(昭和47)には小平市名誉市民となりましたが、1979年(昭和54)12月30日に自宅において、107歳で亡くなっています。
尚、1969年(昭和44)に「井原市立田中美術館」が設立され、翌年から平櫛田中賞が設けられ、また、1984年(昭和59)には、晩年を過ごした邸宅を公開する形で、「小平市平櫛田中館」が開館しました。
〇平櫛田中の主要な作品
・『唱歌君ヶ代』(1901年)日本美術協会美術展銀牌受賞
・『姉ごころ』(1907年)第1回文部省美術展覧会(文展)入選
・『活人箭』(1908年)日本彫刻会第1回展出品
・『維摩一黙』(1910年)第5回文展3等
・『禾山笑』(1914年)再興第1回院展出品
・『五浦釣人』(1930年)第17回再興院展出品
・『鶴しょう』(1942年)東京国立近代美術館蔵
・彩色木像『鏡獅子』(1958年)東京国立近代美術館蔵
☆平櫛田中関係略年表(明治5年の日付は旧暦です)
・1872年(明治5年1月15日) 岡山県後月郡西江原村(現在の井原市西江原町)の田中家に生まれる
・1882年(明治15) 広島県沼隈郡今津村(現在の福山市今津町)の平櫛家の養子となる
・1893年(明治26) 大阪の人形師・中谷省古に弟子入りし、木彫の手ほどきを受ける
・1897年(明治30) 上京し、台東区の長安寺に寄宿する
・1898年(明治31) 高村光雲に師事する
・1898年(明治31) 西山禾山の臨済録の提唱を聞き、影響を受ける
・1901年(明治34) 日本美術協会美術展に『唱歌君ヶ代』を出品、銀牌を受賞する
・1902年(明治35) 三々会会員となる
・1907年(明治40) 米原雲海,山崎朝雲らと日本彫刻会を結成する
・1907年(明治40) 文部省美術展覧会(文展)第1回展に『姉ごころ』を出品、入選する
・1908年(明治41) 日本彫刻会第1回展に『活人箭』を出品。岡倉天心の推奨を受ける
・1910年(明治43) 第5回文展で『維摩一黙』が3等となる
・1914年(大正3) 再興第1回院展に西山禾山モデルの『禾山笑』等を出品、日本美術院同人に推挙される
・1922年(大正11) 日本画家の横山大観、下村観山、木村武山の尽力で台東区上野桜木町に住宅を建てる
・1930年((昭和5) 日本美術院の経営者に加わる。第17回再興院展に『五浦釣人』を出品する
・1937年(昭和12) 帝国芸術院会員となる
・1942年(昭和17) 第2回野間美術賞を受賞する
・1942年(昭和17) 文展審査員となる
・1944年(昭和19) 東京美術学校(現・東京芸術大学)の教授となる
・1944年(昭和19)7月1日 帝室技芸員となる
・1953年(昭和28) 日展審査員となる
・1954年(昭和29) 文化功労者となる
・1958年(昭和33) 昭和11年の制作開始から22年の歳月をかけて『鏡獅子』を完成させる
・1958年(昭和33) 日本美術院理事となる
・1962年(昭和37) 文化勲章を受章する
・1965年(昭和40) 東京芸術大学名誉教授となる
・1969年(昭和44) 「井原市立田中美術館」が設立される
・1970年(昭和45) 平櫛田中賞が設けられる
・1970年(昭和45) 作品集『尋牛 平櫛田中作品集』が刊行される
・1970年(昭和45) 東京都小平市学園西町に転居する
・1972年(昭和47) 小平市名誉市民に推戴される
・1979年(昭和54)12月30日 小平市の自宅において、107歳で亡くなる
・1984年(昭和59)10月25日 晩年を過ごした邸宅を公開する形で、「小平市平櫛田中館」が開館する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1862年(文久2) | 坂下門外の変が起きる(新暦2月13日) | 詳細 | |||||
1974年(昭和49) | 長崎県の端島炭鉱(軍艦島)が閉山する | 詳細 | |||||