今日は、昭和時代後期の1976年(昭和51)に、小説家・劇作家舟橋聖一の亡くなった日です。
舟橋聖一(ふなはし せいいち)は、明治時代後期の1904年(明治37)12月25日に、東京市本所区(現在の東京都墨田区)で、東京帝国大学工科助教授となった父・舟橋了助、母・さわ子の長男として生まれました。1909年(明治42)に父がドイツへ留学したため神奈川県腰越長山の母の実家の別荘に転居しますが、幼時から芝居、芸者、相撲)取りなどに親しく接します。
旧制の私立高千穂中学校、旧制水戸高校を経て、1925年(大正14)に東京帝国大学文学部国文科へ入学しました。文芸部雑誌「朱門」の同人となり、河原崎長十郎主宰の劇団「心座」結成に参画、翌年に戯曲『痼疾者』を上演して好評を博し、雑誌「新潮」に戯曲『白い腕』を発表しました。1928年(昭和3)に大学を卒業、同年に「文芸都市」の同人となり、阿部知二、井伏鱒二、梶井基次郎、外村繁らと「新人クラブ」を結成、翌年「心座」を退き、阿部、井伏らと「新文芸都市」を創刊します。
1930年(昭和5)に戯曲集『愛慾の一匙』を出版しましたが、しだいに劇作家から小説家へと転身、1933年(昭和8)に阿部知二らと雑誌「行動」を創刊、行動主義を唱えて小説『ダイヴィング』を発表しました。1935年(昭和10)に「文学界」同人に加わり、1938年(昭和13)には、明治大学教授となります。
1938年(昭和13年)に「文學界」に発表した小説『木石』で認められ、戦時下でも時局に迎合することなく、『悉皆屋康吉』(1941~45年)を書き継いで、伝統的な美の精神を守ろうとする決意を込めました。太平洋戦争後は、1948年(昭和23)に小説『雪夫人絵図』で流行作家となり、同年に日本文芸家協会理事長、翌年に芥川賞選考委員、1950年(昭和25)には文部省の国語審議委員ともなります。
1953年(昭和28)に歴史小説『花の生涯』を発表しましたが、1963年(昭和38)には、NHK大河ドラマの第一作として放映され、1964年(昭和39)に小説『ある女の遠景』で毎日芸術賞、1966年(昭和41)に日本芸術院会員、1967年(昭和42)に小説『好きな女の胸飾り』で野間文芸賞と数々の栄誉を得ました。1969年(昭和44)に横綱審議委員長となり、1975年(昭和50)には文化功労者となりましたが、1976年(昭和51)1月13日に東京において、急性心筋梗塞により71歳で亡くなっています。
尚、1999年(平成11)に『新・忠臣蔵』を原作とした『元禄繚乱』がNHK大河ドラマで放送され、2007年(平成19)には彦根市によって「舟橋聖一文学賞」が創設されました。
〇舟橋聖一の主要な著作
・戯曲『白い腕』(1926年)
・戯曲集『愛慾(あいよく)の一匙(さじ)』(1930年)
・小説『ダイヴィング』(1934年)
・伝記『岩野泡鳴伝』(1936~38年)
・小説『木石(ぼくせき)』(1938年)
・小説『新風平家物語』(1940年)
・小説『北村透谷』(1942年)
・小説『女の手』(1942年)
・小説『悉皆屋(しっかいや)康吉』(1941~45年)
・小説『雪夫人絵図』(1948~50年)
・小説『芸者小夏』(1952年)
・小説『花の生涯』(1952~53年)
・小説『絵島生島』(1954~55年)
・小説『白い魔魚』(1956年)
・小説『新・忠臣蔵』(1957~61年)
・小説『ある女の遠景』(1961~63年)毎日芸術賞受賞
・小説『好きな女の胸飾り』(1967年)第20回野間文芸賞受賞
・自伝小説『真贋の記』
・小説『太閤秀吉』(1970~76年)未完
・小説『源氏物語』(1970~76年)未完
☆舟橋聖一関係略年表
・1904年(明治37)12月25日 東京市本所区で、東京帝国大学工科助教授となった父・舟橋了助、母・さわ子の長男として生まれる
・1909年(明治42) 父がドイツへ留学したため、神奈川県腰越長山の母の実家の別荘に転居する
・1911年(明治44) 正修尋常高等小学校(現在の鎌倉市立腰越小学校)に入学する
・1913年(大正2) 東京府豊多摩郡落合村(現在の東京都新宿区)へ転居する
・1925年(大正14) 旧制水戸高校を卒業し、東京帝国大学文学部国文科へ入学する
・1926年(大正15) 戯曲『痼疾者』が上演され、上司小剣や秋田雨雀に認められる
・1926年(大正15)7月 佐藤百寿と結婚する
・1926年(大正15)10月 雑誌「新潮」に戯曲『白い腕』を発表する
・1928年(昭和3) 「文芸都市」の同人となる
・1928年(昭和3) 東京帝国大学文学部国文科を卒業する
・1930年(昭和5) 戯曲集『愛慾の一匙』を出版する
・1933年(昭和8) 阿部知二らと雑誌「行動」を創刊、行動主義を唱えて小説『ダイヴィング』を発表する
・1935年(昭和10) 「文学界」同人にくわわる
・1938年(昭和13) 明治大学教授となる
・1938年(昭和13) 小説『木石(ぼくせき)』で認められる
・1948年(昭和23) 小説『雪夫人絵図』で流行作家となる
・1948年(昭和23) 日本文芸家協会理事長となる
・1949年(昭和24) 芥川賞選考委員となる
・1950年(昭和25) 文部省の国語審議委員となる
・1953年(昭和28) 歴史小説『花の生涯』を発表する
・1963年(昭和38) 歴史小説『花の生涯』が、NHK大河ドラマの第一作として放映される
・1964年(昭和39) 小説『ある女の遠景』で毎日芸術賞を受賞する
・1964年(昭和39) 歴史小説『花の生涯』で彦根市名誉市民として表彰される
・1966年(昭和41) 日本芸術院会員となる
・1967年(昭和42) 小説『好きな女の胸飾り』で野間文芸賞を受賞する
・1969年(昭和44) 横綱審議委員長となる
・1975年(昭和50) 文化功労者となる
・1976年(昭和51)1月13日 東京において、急性心筋梗塞により71歳で亡くなる
・1999年(平成11) 『新・忠臣蔵』を原作とした『元禄繚乱』がNHK大河ドラマで放送される
・2007年(平成19) 彦根市によって「舟橋聖一文学賞」が創設される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1199年(建久10) | 鎌倉幕府初代将軍源頼朝の命日(新暦2月9日) | 詳細 | |||||
1945年(昭和20) | 東海地方で三河地震(M6.8)が起き、死者・行方不明者2,306人を出す | 詳細 | |||||