今日は、平成時代の2019年(平成31)に、哲学者梅原猛の亡くなった日です。
梅原猛(うめはら たけし)は、1925年(大正14)3月20日 宮城県仙台市で、当時東北帝国大学の学生だった父・梅原半二、母・石川千代の子として生まれました。乳児期に実母を亡くし、生後1年9ヶ月の時に愛知県知多郡内海町(現在の南知多町)の伯父夫婦(梅原半兵衛・俊)に引き取られて養子となります。
1942年(昭和17)に旧制の私立東海中学校(現在の東海中学校・高等学校)卒業後、旧制第八高等学校へ進み、1945年(昭和20)に京都帝国大学文学部入学しました。しかし、直後に徴兵されて大日本帝国陸軍の二等兵として入営、第216師団野砲兵第216連隊(九州防衛隊)で終戦を迎えます。
1945年(昭和20)9月に京都帝国大学に復学し、1948年(昭和23)に文学部哲学科を卒業すると大学院に進学し、山内得立、田中美知太郎に指導を受けました。龍谷大学、立命館大学の講師を経て、1967年(昭和42)に立命館大学文学部教授となり、同年に『地獄の思想』を出しています。
1970年(昭和45)に大学紛争によって、立命館大学を辞職し、1972年(昭和47)に京都市立芸術大学美術学部教授となりました。同年に『隠された十字架 法隆寺論』で第26回毎日出版文化賞を受賞、1974年(昭和49)に『水底の歌 柿本人麿論』で第1回大佛次郎賞を受賞、同年に京都市立芸術大学学長となっています。
一方、国際日本文化研究センターの設立にも尽力し、1987年(昭和62)に初代所長に就任、日本古代史の再検討に打ち込み、縄文文化やアイヌ、沖縄の文化にも強い関心を寄せて、大胆な仮説を展開し、「梅原古代学」を確立しました。また、1986年(昭和61)に3世市川猿之助のために『ヤマトタケル』、『ギルガメシュ』などを書き下ろすなど、スーパー歌舞伎でも話題となります。
1997年(平成9)に日本ペンクラブ会長となり、同年にMIHO MUSEUM初代館長、2001年(平成13)にはものつくり大学初代総長となるなど要職を歴任しました。その間、1991年(平成3)に第44回中日文化賞、1992年(平成4)に文化功労者、1998年(平成10)に京都市名誉市民、1999年(平成11)には文化勲章など数々の栄誉にも輝きます。
晩年まで多彩な活動を展開しましたが、2019年(平成31)1月12日 に京都府京都市において、肺炎のため93歳で亡くなりました。
〇梅原猛の主要な著作
・『地獄の思想』(1967年)
・『隠された十字架一法隆寺論』(1972年)第26回毎日出版文化賞受賞
・『水底の歌―柿本人麿(かきのもとのひとまろ)論』(1973年)第1回大佛次郎賞受賞
・『黄泉の王 私見・高松塚』(1973年)
・『日本人の「あの世」観』(1989年)
・『葬られた王朝一古代出雲の謎を解く』(2010年)
・『親鸞「四つの謎」を解く』(2014年)
・『空海の人生と思想』
・『法然』
☆梅原猛関係略年表
・1925年(大正14)3月20日 宮城県仙台市で、父・梅原半二、母・石川千代の子として生まれる
・1942年(昭和17)3月 旧制東海中学校(現在の東海中学校・高等学校)を卒業する
・1945年(昭和20)3月 旧制第八高等学校(現在の名古屋大学教養部)を卒業する
・1945年(昭和20)4月 京都帝国大学文学部入学、直後に徴兵されて陸軍二等兵として入営する
・1945年(昭和20)8月 熊本県宇城市の第216師団野砲兵第216連隊(九州防衛隊)で終戦を迎える
・1945年(昭和20)9月 京都帝国大学に復学する
・1948年(昭和23) 京都大学文学部哲学科を卒業する
・1949年(昭和24) 京都大学大学院特別研究生(哲学専攻)となる
・1952年(昭和27) 龍谷大学文学部専任講師となる
・1955年(昭和30) 立命館大学文学部専任講師となる
・1957年(昭和32) 立命館大学文学部助教授となる
・1963年(昭和38) 「壬生忠岑『和歌体十種』について」という論文を書く
・1967年(昭和42) 立命館大学文学部教授となる
・1967年(昭和42) 『地獄の思想』を出版する
・1970年(昭和45) 立命館大学文学部教授辞職(大学紛争に当たり)する
・1972年(昭和47) 京都市立芸術大学美術学部教授となる
・1972年(昭和47) 『隠された十字架 法隆寺論』で第26回毎日出版文化賞を受賞する
・1974年(昭和49) 『水底の歌 柿本人麿論』で第1回大佛次郎賞を受賞する
・1974年(昭和49) 京都市立芸術大学学長となる
・1983年(昭和58) 京都市立芸術大学学長に再選される
・1986年(昭和61) 京都市立芸術大学名誉教授となる
・1986年(昭和61) 3世市川猿之助のために『ヤマトタケル』を書き下ろす
・1986年(昭和61) 国際日本文化研究センター創設準備室長となる
・1987年(昭和62)5月 国際日本文化研究センター初代所長となる
・1989年(平成元) 『日本人の「あの世」観』を出版する
・1991年(平成3) 「国際日本文化研究センターの創設と多年にわたる独創的な日本研究」に対して第44回中日文化賞を受賞する
・1992年(平成4) 文化功労者顕彰を受ける
・1995年(平成7)5月 国際日本文化研究センター退任。国際日本文化研究センター顧問・名誉教授となる
・1997年(平成9) 日本ペンクラブ会長となる
・1997年(平成9) MIHO MUSEUM初代館長となる
・1998年(平成10) 京都市名誉市民顕彰を受ける
・1999年(平成11) 文化勲章を受章する
・2001年(平成13)4月 ものつくり大学初代総長となる
・2004年(平成16) 護憲運動を牽引する「九条の会」の呼びかけ人となる
・2011年(平成23)4月 東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)となる
・2019年(平成31)1月12日 京都府京都市において、肺炎のため93歳で亡くなる
・2019年(平成31) 従三位となる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1869年(明治2) | 洋画家岡田三郎助の誕生日(新暦1月22日) | 詳細 | |||||
1914年(大正3) | 桜島大正大噴火が始まる | 詳細 | |||||