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 今日は、明治時代前期の1892年(明治25)に、詩人・歌人・フランス文学者・翻訳家堀口大学の生まれた日です。
 堀口大学(ほりぐち だいがく)は、東京・本郷区森川町(現在の東京都文京区)で、長岡藩士の家系の堀口九萬一(のち外交官)の長男(母は村上藩士江坂氏の長女)として生まれました。母が早世して祖母に育てられ、1904年(明治37)に、旧制の新潟県立長岡中学校(現在の新潟県立長岡高等学校)に入学、文学に親しみます。
 1909年(明治42)に上京し、与謝野寛・晶子の「新詩社」に入り、翌年には慶應義塾大学文学部予科に入学、「三田文学」に詩歌を発表したりしました。しかし、1911年(明治44)に中退して父の任地であるメキシコへ赴き、以後父に従って、ベルギー、スペイン、ブラジル、ルーマニアと、青春時代の大部分を海外で過ごしたものの、2度日本へ帰っています。
 フランス語に精通し、その間に訳詩集『昨日の花』(1918年)、第一詩集『月光とピエロ』(1919年)、第一歌集『パンの笛』(1919年)、翻訳小説『夜ひらく』ポール=モーラン作(1924年)などを発表、自由な日本語を駆使した知的抒情詩人として登場しました。1925年(大正14)に帰国しましたが、同年に出版した訳詩集『月下の一群』は高く評価され、日本近代の代表的な名訳詩集とされます。
 1928年(昭和3)に日夏耿之介、西条八十らと詩誌『PANTHÉON』を出し、次いで翌年に独力で詩誌『オルフェオン』を刊行して後進を育てました。1932年(昭和7)に『昼顔』を発行しましたが発禁処分となるものの、1935年(昭和10)には日本ペンクラブの副会長に推されます。
 その後、フランス語訳に専念しますが、戦時下において著書が情報局検閲で削除されるなど思想弾圧を受けました。戦火を逃れるため新潟県に疎開していましたが、太平洋戦争後は、著作活動を再開し、詩集『人間の歌』(1947年)などを出します。
 1950年(昭和25)に疎開先から神奈川県葉山町へ転居、1957年(昭和32)に日本芸術院会員となり、1959年(昭和34)に詩集『夕の虹』で第10回読売文学賞を受賞しました。1970年(昭和45)に文化功労者、1979年(昭和54)には文化勲章を受章したものの、1981年(昭和56)3月15日に、神奈川県葉山町において、89歳で亡くなっています。

〇堀口大学の主要な著作

・訳詩集『昨日の花』(1918年)
・詩集『月光とピエロ』(1919年)
・歌集『パンの笛』(1919年)
・詩集『水の面 (おもて) に書きて』(1921年)
・詩集『新しき小径』(1922年)
・翻訳小説『夜ひらく』ポール=モーラン作(1924年)
・訳詩集『月下の一群』(1925年)
・詩集『砂の枕』(1926年)
・詩集『人間の歌』(1947年)
・詩集『夕の虹』(1957年)第10回読売文学賞受賞
・詩集『月かげの虹』(1971年)
・詩集『沖に立つ虹』(1974年)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1646年(正保3)江戸幕府5代将軍徳川綱吉の誕生日(新暦2月23日)詳細
1944年(昭和19)「緊急学徒勤労動員方策要綱」が閣議決定され、学徒勤労動員が強化される詳細