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 今日は、江戸時代後期の1822年(文政5年)に、洒落本・滑稽本・黄表紙・合巻作者式亭三馬の亡くなった日ですが、新暦では2月27日となります。
 式亭三馬(しきていさんば)は、江戸時代中期の1776年(安永5)に、江戸浅草田原町(現在の東京都台東区)において、家主で版木師だった父・菊地茂兵衛の長男として生まれましたが、名は久徳と言いました。1784年(天明4)8歳から、1792年(寛政4)16歳まで、本石町(現・中央区日本橋本石町)の地本問屋翫月堂掘野屋仁兵衛方に住み込み奉公して戯作と関わります。
 1794年(寛政6)18歳のとき、黄表紙『天道浮世出星操』、『人間一心覗替繰』を出版し、1797年(寛政9)頃、本屋の蘭香堂万屋太治右衛門の婿養子となり、作家と出版屋を兼業しました。1799年(寛政11)に火消し人足同士の喧嘩を題材とした黄表紙『侠太平記向鉢巻』で、筆禍事件を起して50日の手鎖に処せられ、翌年は新刊を出せなくなります。
 1806年(文化3年3月)の文化の大火で罹災し、妻も亡くなったので万屋を去り、翌年には本町2丁目に転宅して、戯作のかたわら売薬店を営み、「仙方延寿丹」や歯みがき粉、自家製の化粧水「江戸の水」を売り出し、成功しました。一方で、流行の敵討物『雷太郎強悪物語』(1806年刊)を発表し、合巻形式流行のきっかけをつくり、その後の滑稽本『浮世風呂』(1809年刊)は精細な写実によるおかしみで人気を博し、同趣向の『浮世床』(1813年刊)と並んで代表作となります。
 また、旧主掘野屋仁兵衛の娘を後妻に迎え、虎之助(のちの式亭小三馬)をもうけ、後継者としました。合巻や滑稽本を中心に百数十点を発表しましたが、1822年(文政5年閏1月6日)に、江戸において、数え年47歳で亡くなっています。
 尚、門弟には為永春水、楽亭馬笑、古今亭三鳥、益亭三友などがいました。

〇式亭三馬の主要な著作

・黄表紙『天道浮世出星操 (てんどううきよのでずかい) 』(1794年刊)
・黄表紙『人間一心覗替繰』(1794年刊)
・洒落本『辰巳婦言 (たつみふげん) 』(1798年)
・黄表紙『侠太平記向鉢巻 (きゃんたいへいきむこうはちまき) 』(1799年)
・黄表紙『稗史億説年代記』3冊(1802年刊)
・歌舞伎解説書『戯場訓蒙図彙』勝川春英,初世歌川豊国画(1803年刊)
・滑稽本『親讐胯膏薬 (おやのかたきうちまたこうやく) 』(1805年)
・合巻『雷太郎強悪物語』10冊 歌川豊国画(1806年刊)
・滑稽本『戯場粋言幕之外(げじょうすいげんまくのそと)』(1806年刊)
・滑稽本『酩酊気質(なまえいかたぎ)』(1806年刊)
・滑稽本『浮世風呂』4編9冊 北川美丸・歌川国直画(1809年刊)
・滑稽本『早替胸機関(はやがわりむねのからくり)』(1810年刊)
・滑稽本『客者評判記』歌川国貞画(1811年刊)
・滑稽本『四十八癖(しじゅうはちくせ)』(1812年刊)
・滑稽本『一盃綺言(いっぱいきげん)』(1813年刊)
・滑稽本『人間万事虚誕計(にんげんばんじうそばっかり)』(1813年刊)
・滑稽本『浮世床』歌川国直画(1813年刊)
・滑稽本『古今百馬鹿(ここんひゃくばか)』(1814年刊)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1831年(天保2)禅僧・歌人・書家良寛の命日(新暦2月18日)詳細