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 今日は、昭和時代前期の1942年(昭和17)に、東条英機内閣の閣議において、同年1月8日を第1回とし、以後毎月8日を「大詔奉戴日」とすると決定した日です。
 「大詔奉戴日」(たいしょうほうたいび)は、太平洋戦争開始の詔勅が発布された1941年(昭和16)12月8日にちなみ、戦意昂揚をはかった挙国一致国民運動の日で、それまでの「興亜奉公日」(毎月1日)に代わって制定されました。1942年(昭和17)1月2日に内閣告諭と閣議決定「大詔奉戴日設定ニ関スル件」が出されましたが、その趣旨は、「皇國ノ隆替ト東亞ノ興廃トヲ決スベキ大東亞戰爭ノ展開ニ伴ヒ國民運動ノ方途亦畫期的ナル一大新展ヲ要請セラルルヲ以テ茲ニ宣戰ノ大詔ヲ渙發アラセラレタル日ヲ擧國戰爭完遂ノ源泉タラシムル日ト定メ曠古ノ大業ヲ翼賛スルニ遺算無カランコトヲ期セシメントス」とされ、「興亜奉公日」より、さらに戦時色の強いものとなります。
 その内容は、①官公衙、学校、会社、工場等において詔書奉読式を行ふこと、②神社、寺院、教会等においては、必勝祈願の行事を行ふこと、③各戸においては国旗を掲揚すること、④各自職域の奉公に励精し、殊更に当日と休業とする如きは採らざること、⑤その他の国民運動の項目は、大政翼賛会において本方針に基き随時決定することとされました。この日の正午になると戦死者のために、誰もが1分間の黙祷を捧げることとなり、街の大通りなどでは、市電や自動車も全部とまったとのことです。
 また、学校では、全員が集合して、君が代吹奏に合わせて国旗掲揚、宮城遥拝、「宣戦詔勅」と「教育勅語」の奉読、「大詔奉戴日の歌」の斉唱などが行われ、各団体長の聖戦貫徹の訓示がなされました。戦局が厳しくなって、「学徒動員」で軍需工場に配属され、平日は朝から晩まで工場勤務となっても、この日だけは学校に登校して、諸行事がおこなわれ、それは1945年(昭和20)の敗戦まで続けられます。
 以下に、この日に歌われた「大詔奉戴日の歌」(尾崎喜八作詞・信時潔作曲)の歌詞と奉読された「宣戦詔勅」(注釈・現代語訳付)を掲載しておきましたので、ご参照下さい。
 また、この日の内閣告諭と閣議決定「大詔奉戴日設定ニ関スル件」および「大詔奉戴日実施要項」も掲載しておきますのでご覧ください。

〇「大詔奉戴日の歌」(尾崎喜八作詞・信時潔作曲)

天津日の光と仰ぐ大詔
押し戴いて一億が
手に手を取って感激の
涙と共に必勝を
誓ったこの日忘れまい

暁の太平洋の西東
御言に勇むますらおが
万里の怒涛蹴散らして
電光石火敵肝を
奪ったこの日忘れまい

国挙る力を合わせこの戦
戦い抜くと一億が
命も家も何のその
鉄をも溶かす真心を
燃やしたこの日忘れまい

八の紘一の宇と睦み合い
東亜の民の十億が
共栄楽土謳歌する
世を築こうと我等皆
誓ったこの日忘れまい

〇「宣戦詔勅」1941年(昭和16)12月8日

米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書

天佑[1]ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル[2]大日本帝國天皇ハ昭ニ[3]忠誠勇武ナル汝有眾[4]ニ示ス
朕玆ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司[5]ハ勵精[6]職務ヲ奉行[7]シ朕カ眾庶[8]ハ各〻其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算[9]ナカラムコトヲ期セヨ
抑〻東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯[10]ナル皇祖考[11]丕承[12]ナル皇考[13]ノ作述[14]セル遠猷[15]ニシテ朕カ拳〻措カサル[16]所而シテ[17]列國トノ交誼[18]ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開ク[19]ニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈[20]朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ[21]帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈[22]ヲ執ルニ至ラシメ玆ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權[23]ハ米英ノ庇蔭[24]ヲ恃ミテ兄弟尙未タ牆ニ相鬩ク[25]ヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂[26]ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望[27]ヲ逞ウセムトス剩ヘ[28]與國[29]ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增强シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ[30]交讓[31]ノ精神ナク徒ニ[32]時局[33]ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益〻經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ[34]東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ[35]事旣ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然[36]起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗[37]ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有眾[4]ノ忠誠勇武ニ信倚[38]シ祖宗[39]ノ遺業ヲ恢弘[40]シ速ニ禍根ヲ芟除[41]シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

御名(裕仁)御璽
昭和十六年十二月八日 各國務大臣副署

【注釈】

[1]天祐:てんゆう=天の助け。天助。
[2]皇祚ヲ践メル:こうそをふめる=天皇の位につく。皇位を継承する。
[3]昭ニ:あきらかに=はっきりと。明確に。明らかに。
[4]有眾:ゆうしゅう=国民。庶民。臣民。
[5]百僚有司:ひゃくりょうゆうし=もろもろの役人。百官。
[6]勵精:れいせい=精を出してはげむこと。精励。
[7]奉行:ほうこう=命令を受けて行う。
[8]眾庶:しゅうしょ=もろもろの人。
[9]遺算:いさん=見込みちがい。誤算。手落ち。
[10]丕顕:ひけん=大いにあきらかなこと。立派なこと。また、そのさま。
[11]皇祖考:こうそこう=天皇の亡祖父。ここでは明治天皇。
[12]丕承:ひしょう=大いに受け継ぐこと。
[13]皇考:こうこう=天皇の亡父。ここでは大正天皇。
[14]作述:さくじゅつ=新たに創作したり、先人の業績を受け継いだりすること。
[15]遠猷:えんゆう=遠い将来までのはかりごと。
[16]拳々措カサル:きょきょおかざる=常に心にもち続ける。
[17]而シテ:しこうして=そうであるから。
[18]交誼:こうぎ=交際。
[19]釁端ヲ開ク:きんたんをひらく=争いを始める。戦端を開く。
[20]豈:あに=どうして。
[21]曩ニ:さきに=先に。かつて。以前に。
[22]干戈:かんか=盾と鉾。武器。
[23]重慶ニ殘存スル政權:じゅうけいにざんぞんするせいけん=蒋介石の国民政府のこと。
[24]庇蔭:ひいん=ひさしのかげ。かばい助けること。庇護すること。
[25]牆に相鬩く:かきにあいせめく=仲間内で争う。
[26]禍亂:からん=世の中が乱れること。騒動。
[27]非望:ひぼう=身分不相応のことを望むこと。また、そのような望み。野望。
[28]剰ヘ:あまつさえ=それだけでなく。
[29]與國:よこく=同盟国。味方の国。
[30]毫も:ごうも=いささかも。
[31]交譲:こうじょう=互いに譲りあうこと。
[32]徒ニ:いたづらに=むだに。意味もなく。
[33]時局:じきょく=その時の社会の状態。社会情勢。
[34]推移セムカ:すいいせんか=推移したならば。
[35]危殆ニ瀕セリ:きたいにひんせり=危険な状態に陥ること。危ない状態となること。
[36]蹶然:けつぜん=決然。覚悟を決めて。
[37]皇祖皇宗:こうそこうそう=天照大神に始まる天皇歴代の祖先。
[38]信倚:しんい=信頼。
[39]祖宗:そそう=先祖代々の君主。
[40]恢弘:かいこう=事業などを大きくしておしひろめること。
[41]芟除:せんじょ=除き去ること。除去。

<現代語訳>

 天の助けの下で、万世一系の皇位を継承し、現に大日本帝国天皇たる私は、明らかに忠誠の念が厚く、武勇に秀でた国民諸君に知らしめる。
 私は米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の統帥する陸軍・海軍の将兵は全力を奮って戦闘に従事し、また私の諸官吏は一層その職務命令に従って精勤し、もろもろの人はそれぞれの務めを果たし、一億の民が心を統一して、国家の総力を挙げての戦争目的達成のために手落ちが生ぜぬように万全を期せ。
 そもそも、東アジアの安定を確保して、もって世界の平和に寄与するとの考えは、大いなる明治天皇と、それを受け継がれた大正天皇の御計画であって、私もまたこれを常に心にもち続けるものである。そうであるから、各国との交際を篤くし、あらゆる国の共栄の喜びをともにすることは、これもまた常に帝国外交の要点としてきたところである。今や不幸にして、米英両国と戦端を開くに至った。まことにやむをえない事態であって、これは決して私の本意とするところではない。中華民国は以前より、帝国の真意を理解せずに、みだりに挑発を繰り返して東アジアの平和を乱し、ついに帝国をして武器をとって立ち上がせる事態に至らしめ、すでに四年余りの歳月を経過したのである。幸いにして、国民政府は新たに変わり(汪兆銘の南京政府となる)、日本はこれと友好関係を結び、ともに提携するようになったのだが、重慶に残っている(蒋介石)政権は、米英の庇護を受けて、兄弟である南京政府といまだに相互に争う姿勢を改めていない。米英両国は残存する(蒋介石)政権を支援して、ことさらに東アジアで騒動を起こすことを助長し、平和の美名に隠れて東洋制覇の野望をほしいままにしている。それだけでなく、同盟国を誘って帝国の周辺において軍備を増強し、我が国に挑戦し、さらに帝国の平和的通商にまであらゆる妨害を与え、ついには経済断交さえ敢えて行い、帝国の生存に重大な脅威を加えている。私は政府の手によって、この事態を平和裏に回復させようとして、長い間耐え忍んできたのであるが、彼等はいささかも交渉において互いに譲りあうことがなく、意味もなく情勢の解決を長引かせて、この間にかえってますます経済上・軍事上の脅威を増大し、それでもって我国を屈服させようとしている。そのように推移したならば、東アジアの安定に関する帝国の積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立もまた重大な危機に瀕している。事態がすでにここに至った以上、帝国は今や自存自衛のために覚悟を決めて立ち上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
 天照大神に始まる天皇歴代の祖先の神霊をいただき、私は、おまえたち臣民の忠誠と武勇を信頼し、先祖代々の天皇の御遺業を更に大きく発展させて、速やかに禍根を除去し、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄を保とうとするものである。

御名(裕仁)御璽
昭和十六年十二月八日 各国務大臣副署

〇内閣告諭 1942年(昭和17)1月2日付

昭和十六年十二月八日畏クモ大詔ヲ渙発アラセラレ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宜シ皇国ノ大道ト国民ノ嚮フベキ所ヲ昭示シ給フ洵ニ恐懼感激ニ堪へズ
皇国ノ隆替東亜ノ興廃ハ正ニ此ノ戦ニ懸レリ今ヤ全国ノ民草ハ感激措く所ヲ知ラズ醜ノ御楯ト奮ヒ起チ克ク竭シ克ク耐へ雄渾深遠ナル皇謨ノ翼賛ニ万遺憾ナカラムコトヲ誓ハザルナシ
実ニ此ノ日コソ皇国ニ生ヲ享クルモノノ斉シク永遠ニ忘ル能ハザルノ日ナリ新秩序建設ノ大使命ノ負荷セラレタル記念スベキ日ナリ仍テ茲ニ昭和十七年一月以降大東亜戦争ノ完遂ニ至ルマデ毎月八日ヲ以テ大詔奉戴日ト定ム即チ全国民ハ此ノ日ヲ以テ常時実践ノ源泉ト仰ギ純一無雑只管大御心ヲ奉戴シテ各々其ノ本分ニ精励奉行シ益々国家総力ヲ拡充発揮シテ大東亜戦争究極ノ目的完遂ニ挺身シ以テ聖旨ニ応へ奉ラムコトヲ期スベシ
尚之ニ伴ヒ興亜奉公日ハ之ヲ廃止シソノ趣旨トセル処ハ大詔奉戴日ニ発展帰一セシムルコトトシタリ

    昭和十七年一月二日      内閣総理大臣 東 條 英 機

〇「大詔奉戴日設定ニ関スル件」1942年(昭和17)1月2日に東条英機内閣が閣議決定する

大詔奉戴日設定ニ関スル件
 昭和17年1月2日 閣議決定

一、趣旨
皇国ノ隆替ト東亜ノ興廃トヲ決スベキ大東亜戦争ノ展開ニ伴ヒ国民運動ノ方途亦画期的ナル一大新展ヲ要請セラルルヲ以テ茲ニ宣戦ノ大詔ヲ渙発アラセラレタル日ヲ挙国戦争完遂ノ源泉タラシムル日ト定メ曠古ノ大業ヲ翼賛スルニ遺算無カランコトヲ期セシメントス

二、名称
大詔奉戴日

三、日
八日

四、実施項目
趣旨ニ基キ大政翼賛会ニ於テ政府ト密接ナル連絡ノ下ニ設定スルモノトス

五、実施
昭和十七年一月ヨリ大東亜戦争中継続実施シ大政翼賛会之ガ運用ノ中心トナルモノトス

六、昭和十四年八月八日閣議ノ決定ニ依リ設定セラレタル興亜奉公日ハ之ヲ廃止シ其ノ趣旨トスル所ハ大詔奉戴日ニ発展帰一セシムルモノトス

 『内閣制度百年史 下 』内閣制度百年史編纂委員会編より

〇「大詔奉戴日実施要項」

一、方 針

 大東亜戦争完遂の為、必勝の国民士気高揚に重点を置き、健全明朗なる積極面を発揮すること

二、実施項目

 (一) 詔書奉読

  官公衙、学校、会社、工場等において詔書奉読式を行ふこと
  詔書奉読式の時刻は、業態、交通等を考慮し適宜定むること

 (二) 必勝祈願

  神社、寺院、教会等においては、必勝祈願の行事を行ふこと
  但し、一般の氏子信徒に対しては、その職場において祈願せしむるものとし、殊更に祭式に参列を強制せざること

 (三) 国旗掲揚

  各戸においては国旗を掲揚すること、

 (四) 職域奉公

  各自職域の奉公に励精し、殊更に当日と休業とする如きは採らざること 

 (五) その他の国民運動

  その他の国民運動の項目は、大政翼賛会において本方針に基き随時決定すること

三、備 考

 日曜日に際会せる場合、当日業を休む官公衙、学校、会社、工場等においては、殊更に出勤、出校せしむるにも及ばず、家庭人としてまた市町村民として当日を意義あらしむるやう措置すること

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1976年(昭和51)小説家・作詞家檀一雄の命日詳細
1991年(平成3)詩人・小説家野間宏の命日詳細