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 今日は、平安時代中期の康保3年に、三蹟の一人とされる能書家・歌人小野道風の亡くなった日ですが、新暦では967年2月9日となります。
 小野道風(おの の みちかぜ/とうふう)は、894年(寛平6)に大宰大弐の父・小野葛絃の子(参議・小野篁の孫)として、尾張国(現在の愛知県春日井市)において生まれたと伝承されてきました。905年(延喜5)に初めて醍醐天皇に拝謁、920年(延喜20)には、能書により非蔵人として昇殿を許されます。
 921年(延喜21)に右兵衛少尉となり、925年(延長3)には醍醐天皇宸筆法華経供養の願文を清書、同年に少内記となりました。928年(延長6)に『屏風土代』を書き、939年(天慶2年)に内蔵権助、942年(天慶5)に宇佐使、947年(天暦元年)には次侍従となります。
 958年(天徳2)に従四位下・木工頭となり、翌年に天徳詩合の清書をして「能書之絶妙也,羲之再生」と称賛され、960年(天徳4)には正四位下・内蔵権頭となりました。また、『源氏物語』でも、道風の書を高く評していますが、この頃は和風の書道が発達し、藤原佐理、藤原行成と共に三蹟と言われています。
 歌人としても有名で、「後撰和歌集」に5首載っていますが、967年(康保3)に73歳で亡くなりました。真跡とされるものに『三体白氏詩巻』(国宝)、『智証大師諡号勅書』(国宝)、『屏風土代』、『玉泉帖(ぎょくせんじょう)』などが残されています。
 尚、道風の生誕地と伝わる春日井市には、1981年(昭和56)に全国的にも数少ない書専門の美術館として「春日井市道風記念館」が建てられました。

<代表的な歌>

・「ほにはいてぬ いかにかせまし 花すすき 身を秋風に すてやはててん」(後撰和歌集)
・「限なく 思ひいり日の ともにのみ 西の山へを なかめやるかな」(後撰和歌集)

〇小野道風の真跡

・『三体白氏詩巻』 -  正木美術館蔵[国宝]
・『智証大師諡号勅書』(927年)  - 東京国立博物館蔵[国宝]
・『屏風土代』(928年) - 三の丸尚蔵館蔵
・『玉泉帖(ぎょくせんじょう)』 - 三の丸尚蔵館蔵
・『絹地切』 - 東京国立博物館ほか分蔵

☆小野道風関係略年表(日付は旧暦です)

・894年(寛平6年) 大宰大弐・小野葛絃の三男として尾張国?で生まれる
・905年(延喜5年) 初めて醍醐天皇に拝謁
・920年(延喜20年5月5日) 能書により非蔵人として昇殿を許される
・921年(延喜21年3月13日) 右兵衛少尉となる
・925年(延長3年) 醍醐天皇宸筆法華経供養の願文を清書する
・925年(延長3年8月) 少内記となる
・926年(延長4年) 入唐する僧寛建に中国に流布させるため道風の行書・草書2巻が下賜される
・927年(延長5年) 小野則忠とともに薬師経・金剛寿命経・般若心経を書写する
・928年(延長6年) 『屏風土代』を書く
・929年(延長7年) 先年書いた賢聖障子を書き直す
・932年(承平2年) 大嘗会の屏風を書く
・933年(承平3年) 康子内親王裳著の屏風を書く
・939年(天慶2年) 内蔵権助となる
・942年(天慶5年4月27日) 宇佐使となる
・946年(天慶9年) 贖銅2斤
・947年(天暦元年) 次侍従となる
・949年(天暦3年) 坤元録屏風を書く
・953年(天暦7年) 一切経の目録および経26巻を書写する
・954年(天暦8年) 橘直幹の申文を書く
・956年(天暦10年) 内裏の屏風を書く
・957年(天徳元年) 藤原師輔任右大臣大饗料の屏風を書く
・958年(天徳2年1月) 山城守に任じ、もしくは近江の権守を兼任させて欲しいという奏状を村上天皇に奉じる
・958年(天徳2年) 従四位下、木工頭となる
・959年(天徳3年) 藻壁門の額字、藤原師輔の家の障子の色紙形を書く、天徳詩合の清書をして「能書之絶妙也,羲之再生」と称賛される
・960年(天徳4年) 正四位下となる
・960年(天徳4年10月9日) 内蔵権頭となる
・961年(応和元年) 内裏の殿舎・門の額字を書く
・966年(康保3年12月27日) 数え年73歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1980年(昭和55)経済学者山田盛太郎の命日詳細
1987年(昭和62)小説家・児童文学者椋鳩十の命日詳細