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 今日は、昭和時代中期の1960年(昭和35)に、哲学者・倫理学者・文化史家・評論家和辻哲郎の亡くなった日です。
 和辻哲郎(わつじ てつろう)は、明治時代前期の1889年(明治22)3月1日に、兵庫県神崎郡砥堀村(現在の姫路市)において、倫理学者で医師の父・和辻瑞太郎の次男として生れました。旧制姫路中学校(現在の兵庫県立姫路西高校)、第一高等学校を経て、1909年(明治42)に東京帝国大学文科大学哲学科へ入学します。
 在学中に谷崎潤一郎、小山内薫らと第2次「新思潮」の同人となり、1912年(明治45)に卒業後、同大学院へ進学しました。『ニイチェ研究』 (1913年) ,『ゼエレン・キェルケゴオル』 (1915年) など実存主義者の研究を発表し、日本におけるその先駆者となります。
 1917年(大正6)に奈良を旅行し、古寺を巡り、その旅行記を『古寺巡礼』(1919年)として出版して、日本文化の探求へも進み、『日本古代文化』(1920年)、『日本精神史研究』(1926年)などを出しました。また、東洋大学講師、法政大学教授を経て、1925年(大正14)には京都帝国大学助教授となり京都市左京区に転居します。
 1927年(昭和2)から翌年にかけて、ドイツ留学し、1931年(昭和6)には京都帝国大学教授となりました。翌年、『原始仏教の実践哲学』で京都大学より文学博士号を取得、1934年(昭和9)には東京帝国大学文学部倫理学講座教授に就任し、東京市本郷区に転居します。
 その後、『風土』(1935年)、『孔子』(1938年)などを出版し、思想史・文化史的研究にすぐれた業績を上げました。太平洋戦争後は、雑誌『世界』の創刊に関わり、1949年(昭和24)に大学を定年退官し、日本学士院会員となります。
 翌年日本倫理学会を創設し会長に就任(死去まで)、1951年(昭和26)に『鎖国』で読売文学賞、1953年(昭和28)に『日本倫理思想史』で毎日出版文化賞、1955年(昭和30)に文化勲章と数々の栄誉にも輝きました。人と人との関係たる間柄の学としての独自の倫理学を築き、晩年は皇太子妃となる正田美智子のお妃教育の講師も務めたものの、1960年(昭和35)12月26日に、東京において、71歳で亡くなっています。

〇和辻哲郎の主要な著作

・『ニイチェ研究』(1913年)
・『ゼエレン・キェルケゴオル』(1915年)
・『古寺巡礼』(1919年)
・『日本古代文化』(1920年)
・『日本精神史研究』(1926年)
・『原始キリスト教の文化史的意義』(1926年)
・『原始仏教の実践哲学』(1927年)
・『人間の学としての倫理学』(1934年)
・『風土』(1935年)
・『続日本精神史研究』(1935年)
・『倫理学』3巻(1937~49年)
・『孔子』(1938年)
・『ホメロス批判』(1946年)
・『国民統合の象徴』(1948年)
・『鎖国』(1950年)第2回読売文学賞受賞
・『埋もれた日本』(1951年)
・『日本倫理思想史』2巻(1952年)毎日出版文化賞受賞
・『桂離宮』(1955年)
・『日本芸術史研究(歌舞伎(かぶき)と操浄瑠璃(あやつりじょうるり))』(1955年)
・『自叙伝の試み』(1961年)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1888年(明治21)小説家・劇作家・実業家菊池寛の誕生日詳細