yosabuson01

 今日は、江戸時代後期の天明3年に、俳人・画家与謝蕪村の亡くなった日ですが、新暦では1784年1月17日となります。
 与謝蕪村(よさ ぶそん)は、江戸時代中期の1716年(享保元)に、摂津国毛馬村(現在の大阪府大阪市都島区)の豊かな農家に生まれましたが、本名は谷口(のち与謝)信章と言いました。十代の頃に父と母を亡くし、家を失って、20歳ごろ江戸に出て絵画や俳諧を志し、その2年後に、夜半亭(早野)巴人の門人となります。
 27歳の時に、巴人が亡くなったので、江戸を出て下総国結城(現在の茨城県結城市)に住む同じ巴人の弟子の砂岡雁宕の元に身を寄せました。それから、10年もの間、松尾芭蕉の『奥の細道』の足跡を訪ねるなど東北地方、関東地方を遍歴し、画人・俳人としての基礎を固めましたが、その間29歳の時に蕪村と名乗るようになります。
 1751年(宝暦元)に京都に移って、45歳頃に結婚、しだいに画人・俳人としての名声を高め、1770年(明和7)には夜半亭二世となり、俳壇の宗匠の列に連なりました。1773年(安永2)には句集『明烏』を刊行して俳諧新風を大いに鼓吹、また、池大雅と合作の『十便十宜』を描き、画人としても一流とされます。
 主催する発句会には多くの人が参集するようになり、松尾芭蕉を祖とする蕉風の流派を復興させようと努めましたが、1784年1月17日(天明3年12月25日)に、京都において、病気により、数え年67歳で亡くなりました。

<代表的な句>

・「五月雨や 大河を前に 家二軒」
・「夏河を 越すうれしさよ 手に草履」
・「菜の花や 月は東に 日は西に」
・「春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな)」
・「冬鶯 むかし王維が 垣根かな」
・「しら梅に 明くる夜ばかりに なりにけり」(辞世) 

〇与謝蕪村の主要な著作

・句集『其雪影』
・句集『明烏』(1773年)
・句集『一夜四歌仙』
・句集『続明烏』
・句集『桃李 (ももすもも) 』(1780年)
・句集『五車反古』
・句集『花鳥篇』
・句集『続一夜四歌仙』
・俳体詩『春風馬堤曲(しゅんぷうばていのきょく)』
・句日記『新花摘(しんはなつみ)』
・『夜半楽』
・句集『蕪村句集』
・『玉藻集』

〇与謝蕪村の主要な絵画作品

・画帖『十便十宜図』(1771年)川端康成記念会蔵 国宝
・襖4面、四曲屏風一隻『紅白梅図』角屋もてなしの文化美術館蔵 国指定重要文化財
・四曲屏風一双『蘇鉄図』香川・妙法寺蔵 国指定重要文化財
・六曲一双『山野行楽図』東京国立博物館蔵 国指定重要文化財
・掛幅『竹溪訪隠図』個人蔵 国指定重要文化財
・巻子本2巻『奥の細道図巻』(1778年)京都国立博物館蔵 国指定重要文化財
・六曲一隻『野ざらし紀行図』個人蔵  国指定重要文化財
・六曲一隻『奥の細道図屏風』(1779年)山形美術館蔵 国指定重要文化財
・巻子本2巻『奥の細道画巻』(1779年)逸翁美術館蔵 国指定重要文化財
・掛幅『新緑杜鵑図』文化庁蔵 国指定重要文化財
・六曲一双『竹林茅屋・柳蔭騎路図』個人蔵  国指定重要文化財
・掛幅『春光晴雨図』個人蔵 国指定重要文化財
・掛幅『鳶烏図』北村美術館蔵 国指定重要文化財
・巻子『峨嵋露頂図』法人蔵 国指定重要文化財
・掛幅『夜色楼台図』個人蔵 国宝
・掛幅『富嶽列松図』愛知県美術館蔵 国指定重要文化財
・六曲一双『柳堤渡水・丘辺行楽図』ボストン美術館蔵
・『蜀桟道図』(1778年)シンガポールの会社蔵

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1899年(明治32)小説家尾崎一雄の誕生日詳細
1988年(昭和63)小説家・評論家大岡昇平の命日詳細