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 今日は、昭和時代後期の1984年(昭和59)に、小説家藤原審爾の亡くなった日です。
 藤原審爾(ふじわら しんじ)は、1921年(大正10)3月7日に、東京市本郷で生まれましたが、3歳で母と生別、6歳で父と死別し、父の郷里である岡山県片上町(現在の備前市)で祖母に育てられました。閑谷中学校を経て、青山学院高等商業部に入学したものの、1940年(昭和15)に肺結核に罹患して中退します。
 療養生活を続けながら創作活動を行い、同人誌「曙」を発行しましたが、1945年(昭和20)の岡山空襲で吉備津に疎開しました。太平洋戦争後は、倉敷市に転居し、同人誌「文学祭」を発行、これに掲載した『煉獄の曲』で河盛好蔵に認められます。
 1947年(昭和22)に、奥津温泉を舞台に両親のいない少年を描く清洌な恋愛小説『秋津温泉』を雑誌「人間」に発表し、文壇での評価を得ました。翌年に上京して、本格的に作家活動に入り、話題作『魔子を待つ間』などを発表しますが、肺結核が再発して療養・治療を余儀なくされます。
 1952年(昭和27)に『罪な女』他で、第27回直木賞を受賞と、その後は風俗小説や推理小説へと執筆領域を広げました。推理小説『赤い殺意』(1959年)、『泥だらけの純情』(1962年)などでも評価を得て映画化され、『殿様と口紅』(1963年)では第9回小説新潮賞を受賞します。
 その後は、『さきに愛ありて』(1973~77年)、『死にたがる子』(1978年)、『落ちこぼれ家庭』(1979年)などで社会性の濃い問題小説も手がけました。「藤原学校」と呼ばれる勉強会を自宅で開き、三好京三、山田洋次、江國滋、色川武大、高橋治らの後進を育てましたが、1984年(昭和59)12月20日に、入院先の病院において、63歳で亡くなっています。

〇藤原審爾の主要な著作

・『秋津温泉』(1947年)
・『魔子』(1950年)
・『罪な女』(1952年)第27回直木賞受賞
・『赤い殺意』(1959年)
・『泥だらけの純情』(1962年)
・『殿様と口紅』(1963年)第9回小説新潮賞受賞
・『新宿警察』(1968年)
・『さきに愛ありて』(1973~77年)
・『死にたがる子』(1978年)
・『落ちこぼれ家庭』(1979年)
・『まだ愛を知らない』(1984~85年)未完

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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