今日は、昭和時代中期の1948年(昭和23)に、連合国最高司令官総司令部(GHQ)が日本経済自立復興の為の「経済安定9原則」を指令した日です。
経済安定9原則(けいざいあんていきゅうげんそく)は、日本経済安定のために、アメリカ政府から連合国最高司令官総司令部(GHQ)を通して、日本政府 (吉田茂内閣) に指令された強力なインフレ収束策でした。その内容は、①)総予算の均衡、②徴税強化、③信用膨張制限、④賃銀安定、⑤物価統制強化、⑥貿易統制改善と外為統制強化、⑦輸出増加のため資材割当改善、⑧重要国産品増産、⑨食料集荷改善を定めており、これらは単一為替レート設定の早期実現の不可欠の前提だとされています。
この当時の日本は、復興金融債の大半を日本銀行が引き受け、日本銀行券の増発によって蓄積された資金を重要産業に供給していましたので、生産回復より通貨の増発が優先し、相当のインフレを助長していました。そこで、政府はアメリカからの外資導入によって、なし崩し的にインフレ収束を図りましたが、うまくいかない状況となります。
しかし、冷戦の激化によって、アメリカが対日占領政策を転換し、日本の経済復興に強い関心を示すに至ったことと、日本の激しいインフレを収束させ、単一為替レートが設定できるような条件を整えることが必要と判断し、この「経済安定9原則」の発表に至ったものでした。これらの原則は、翌年のドッジ・ライン、シャウプ勧告に基づく税制改革に引継がれ、物価は急速に安定化の方向をたどり、1ドル=360円の単一為替レートが設定されるに至ったものの、重税や金詰りから不況の嵐が吹きまくり、大企業の合理化、中小企業の倒産が相次ぎ、庶民の暮らしは困窮が続くこととなります。
以下に、GHQが日本政府に示した「経済安定9原則」の日本語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「経済安定9原則」1948年(昭和23)12月18日指令され翌日発表
昭和二十三年十二月付
(前文省略)
今回の経済復興計画がとくにめざすところは、
一、極力経費の節減をはかり、また必要であり、かつ適当なりと考えられる手 段を最大限度に講じてただちに総予算の均衡をはかること。
二、徴税計画を促進強化し、脱税者に対する刑事訴追を迅速広範にまた強力に 行うこと
三、信用の拡張は日本の経済復興に寄与するための計画に対するほかは厳重に 制限されていることを保障すること。
四、賃金安定実現のため効果的な計画を立てること。
五、現在の物価統制を強化し必要な場合はその範囲を拡張すること。
六、外国貿易統制事務を改善し、また現在の外国為替統制を強化し、これらの 機能を日本側期間に引継いで差支えなきにいたるように意を用いること。
七、とくに出来るだけ輸出を増加する見地より現在の資財割当配給制度を一そ う効果的に行うこと。
八、一切の重要国産原料、および製品の増産をはかること。
九、食糧集荷計画を一そう効果的に行うこと。
以上の計画は単一為替レートの設定に実現させる途を開くためにぜひとも実施されねばならぬものである。
『資料戦後二十年史』より
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1914年(大正3) | 東京駅の開業式が行われる(東京駅完成記念日) | 詳細 |
1947年(昭和22) | 「過度経済力集中排除法」が公布施行される | 詳細 |