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 今日は、昭和時代前期の1937年(昭和12)に、人民戦線事件(第一次)で政府が日本無産党・日本労働組合全国評議会・労農派の関係者446人を一斉検挙した日です。
 人民戦線事件(じんみんせんせんじけん)は、反ファシズム人民戦線運動の活動をしたという理由で、日本無産党、日本労働組合全国評議会(全評)などの左翼労農派を「治安維持法」違反で、2回にわたって一斉に検挙した事件でした。
 1937年(昭和12)12月15日の1回目の検挙者は446人に及び、山川均、猪俣津南雄、荒畑寒村、鈴木茂三郎、向坂逸郎、加藤勘十、江田三郎、黒田寿男、稲村順三らが含まれ、同月22日には日本無産党と全評が「治安警察法」により結社禁止とされます(第1次人民戦線事件)。翌年2月1日の2回目の検挙者は有沢広巳、大内兵衛、美濃部亮吉、脇村義太郎ら教授グループを中心として、佐々木更三を含む38人が検挙されました(第2次人民戦線事件)。
 三・一五事件(1928年)、四・一六事件(1929年)などの政府の弾圧によって、共産主義者の組織的な反戦・反ファッショ運動が困難となった後も、1935年(昭和10)7月のコミンテルン第7回大会の方針(反ファシズム統一戦線の呼びかけ)に呼応して、国内では日本無産党(委員長加藤勘十)、全評などのいわゆる合法左翼団体の反ファッショ人民戦線を目ざす運動が続けらます。しかし、政府は「労農派が日本共産党から出生した双生児であり、また日本無産党と全評がコミンテルン第7回大会の方針(反ファシズム統一戦線の呼びかけ)に呼応して人民戦線の結成を企てた」という理由で、2回にわたって一斉検挙したものでした。
 その後の裁判では、教授グループについては検察側が犯罪事実を立証できず、多くは第二審で無罪が確定し、加藤・鈴木・山川らは第一審、第二審共に有罪でしたが、太平洋戦争後に「治安維持法」が廃止されたので、1945年(昭和20)11月に免訴となっています。
 この事件以後は、反戦・反ファッショ的運動は合法的に展開することは困難となり、日中戦争から1941年(昭和16)には太平洋戦争へと突き進み、1945年(昭和20)8月15日の敗戦を迎えることとなりました。

〇人民戦線事件前後から太平洋戦争開戦までの略年表

<1937年(昭和12)>

・7月7日 日中全面戦争突入(盧溝橋事件が起きる)
・8月24日 「国民精神総動員実施要綱」が閣議決定される
・9月10日 「軍需工業動員法ノ適用ニ関スル法律」が発令される
・10月12日 国民精神総動員中央連盟発足、国民精神総動員運動始まる
・11月20日 宮中に大本営が設置される
・12月1日 矢内原教授が経済学部教授会で言論を非難され、辞表を提出する(矢内原事件)
・12月15日 第一次人民戦線事件(山川均ら労農派446人が全国で検挙される)
・12月22日 日本無産党、日本労働組合全国評議会が禁止される

<1938年(昭和13)>

・2月1日 第二次人民戦線事件(大内兵衛・有沢広巳ら労農派・教授グループを検挙)
・2月13日 唯物論研究会が解散する
・2月18日 石川達三『生きている兵隊』(『中央公論』3月号)が発禁となる
・4月1日 「国家総動員法」が公布される
・5月1日 メーデーが禁止される
・5月27日 「日独防共協定」締結に伴う同盟強化に伴い、青少年相互訪問の一環として、大日本青少年独逸派遣団が出発する(ナチス党大会の参観、ヒトラーとの会見などのため)
・8月16日 「日独防共協定」締結に伴う同盟強化に伴い、青少年相互訪問の一環として、ヒトラー・ユーゲント訪日団が来日する
・10月5日 河合栄次郎の『ファシズム批判』などの4著書が発禁となる(河合栄次郎筆禍事件)

<1939年(昭和14)>

・3月9日 「兵役法」が改正され、短期現役制が廃止され、兵役期間が延長される
・3月25日 「軍用資源秘密保護法」が交布される
・3月31日 文部省は「大学教練振作ニ関スル件」を発して、大学での軍事教練を必修化する
・4月3日 日本製鉄従業員組合が解散して産業報国会が結成される
・4月5日 「映画法」が交布され、脚本の事前検閲、外国映画の上映制限、ニュース映画の強制上映などが始まる
・4月8日 「宗教団体法」公布により、教団 の統合と教理の国家主義的修正が図られる
・6月16日 国民精神総動員委員会が遊興営業の時間短縮、ネオン全廃、中元・歳暮の贈答廃止、学生の長髪禁止、パーマネント廃止などの生活刷新案を決定する
・7月8日 「国民徴用令」公布により、労働力確保のため、厚生大臣に強制的に人員を徴用できる権限を与える
・9月1日 第1回興亜奉公日が実施(以後毎月1日実施)され、国旗掲揚、宮城遥拝、神社参拝、勤労奉仕等が行われる
・10月18日 「価格等統制令」、「地代家賃統制令」、「賃金臨時措置令」、「会社職員給与臨時措置令」が交布される
・12月12日 「軍機保護法施行規則」が改正され、高所からの俯瞰撮影が禁止される

<1940年(昭和15)>

・1月11日 津田左右吉が記紀研究の主要4著作に関して右翼から訴えられ早稲田大学教授辞任に追い込まれる
・2月10日 津田左右吉の『古事記及び日本書紀の研究』『神代史の研究』などの著書4冊が発禁となる
・3月7日 民政党斎藤孝夫が反軍演説(日中戦争の処理を厳しく追及)で衆議院議員を除名される
・3月8日 津田左右吉・岩波茂雄が出版法違反で起訴される
・3月28日 内務省がミス・ワカナ、ディック・ミネ、藤原釜足ら16人に改名を命令する(ミス・ワカナ→玉松ワカナ、ディック・ミネ→三根耕一、藤原釜足→藤原鶏太など)
・6月24日 近衛文麿による新体制運動が開始される
・7月6日 「奢侈品等製造販売制限規則」(七・七禁令)が交布され、翌日施行される
・7月21日 日本労働総同盟が自主解散を決議し、産業報国会に合流する
・8月1日 東京に「ぜいたくは敵だ!」の立看板1,500本が立てられる
・8月15日 立憲民政党が解党され、日本の全政党が解散することとなる
・8月19日 新協・新築地両劇団員100余人が検挙される
・10月12日 大政翼賛会が発足する
・11月1日 砂糖・マッチ切符制の全国実施がされる
・11月2日 「国民服令」が公布施行され、男子の服装として国民服が定められる
・11月10日 紀元2600年祝賀行事が行われる(昼酒が許可されもち米が特配される)
・11月23日 大日本産業報国会が結成される

<1941年(昭和16)>

・1月22日 「人口政策確立要綱」が閣議決定される(生めよ殖やせよ)
・3月1日 「国民学校令」が交布され、尋常小学校(6年)・高等小学校(2年)が、国民学校(初等科6年・高等科2年)に変更される
・3月7日 「国防保安法」が交布される
・3月10日 「治安維持法」改正(予防拘禁制を追加)が交布される
・4月1日 「生活必需物資統制令」が交布される
・8月30日  「金属類回収令」が交布される
・10月10日 農林省が芋類の増産と桑園の整理を通牒する
・11月22日 「国民勤労報国協力令」が交布され、14~40歳の男子と14~25歳の未婚女子の年30日以内の勤労奉仕が義務化される
・12月8日 米英両国に宣戦布告、太平洋戦争が始まる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1914年(大正3)方城炭鉱(福岡県)で爆発事故があり、死者・行方不明者671人を出す詳細
1945年(昭和20)GHQが「宗教指令(神道指令)」(SCAPIN-448)を指令する詳細