今日は、平成時代の1989年(平成元)に、漫画家田河水泡の亡くなった日です。
田河水泡(たがわ すいほう)は、明治時代後期の1899年(明治32)2月10日に、東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区)で、メリヤス家内工業を営む父・高見澤孝次郎、母・わきの子として生まれましたが、本名は高見澤仲太郎(たかみざわ なかたろう)と言いました。翌年に母・わきが亡くなり、1901年(明治34)に父が再婚するため、東京市深川区の伯父夫婦に預けられます。
小学校卒業後は、薬屋の店員やメリヤス工場の少年工員として働きましたが、徴兵されて朝鮮や満州で軍隊生活を送りました。1922年(大正11)に除隊し帰国すると日本美術学校図案科(現・日本美術専門学校)に入学し、在学中の翌年に前衛美術グループ「MAVO(マヴォ)」に参加します。
1926年(大正15)に日本美術学校を卒業後は、講談社に創作落語を持ち込み採用され、1928年(昭和3)には、小林富士子(小林秀雄の妹)と洋風の結婚式を挙げました。生計のため子供漫画へと進み、1929年(昭和4)に漫画『人造人間』、『目玉のチビちゃん』が連載され、翌年にペンネームを田河水泡(たかみざわ)に変更します。
1931年(昭和6)に講談社の雑誌「少年俱楽部」に漫画『のらくろ二等卒』(『のらくろ』シリーズの最初)の連載が始まり、軍国の世相を反映しながらも風刺の笑いがこめられていて、一躍人気作家となりました。1931年(昭和6)に「婦人子供報知」に漫画『蛸(たこ)の八ちゃん』、1933年(昭和8)に「婦人俱楽部」に漫画『凸凹(でこぼこ)黒兵衛』を連載し、翌年には、長谷川町子(のちの『サザエさん』の作者)が入門しています。
しかし、1941年(昭和16)に内閣情報局から執筆禁止令を受け、漫画『のらくろ』の連載が打ち切られました。太平洋戦争後は、1958年(昭和33)に潮書房の「丸」に『のらくろ自叙伝』の連載が開始され、1967年(昭和42)に講談社より『のらくろ漫画全集』が刊行されて、再び注目されるようになります。
1969年(昭和44)に紫綬褒章を受章、同年に山野を買い取り、それを宅地分譲しながら教育を始め、町田市玉川学園八丁目に移住しました。1980年(昭和55)に『のらくろ喫茶店』で『のらくろ』シリーズは完結し、漫画や落語を題材として解説した笑いの研究本として、講談社より『滑稽の構造』(1981年)、『滑稽の研究』(1987年)が刊行されます。
1987年(昭和62)に勲四等旭日小綬章を受章しましたが、1989年(平成元)12月12日に、肝臓がんのため神奈川県において、90歳で亡くなりました。尚、1998年(平成10)に遺族により、遺品が東京都江東区に寄贈され、翌年に東京都江東区の「森下文化センター」1階に常設展示館「田河水泡・のらくろ館」が開館しています。
〇田河水泡の主要な著作
・漫画『人造人間』(1929年)
・漫画『目玉のチビちゃん』(1929年)
・漫画『のらくろ』全10冊(1931~41年)
・漫画『蛸(たこ)の八ちゃん』(1931年)
・漫画『凸凹(でこぼこ)黒兵衛』(1933~36年)
・漫画『窓野雪夫さん』(1935~39年)
・漫画『豆象さん』
・漫画『珍品のらくろ草』
・漫画『チンパンジー HB』
・漫画『ダルマノコロ吉』
・『のらくろ自叙伝』(1976年)
・『滑稽の構造』(1981年)
・『滑稽の研究』(1987年)
・『人生おもしろ説法』(1988年)
〇漫画『のらくろ』とは?
田川水泡作で1931~41年に「少年倶楽部」に連載、ノラの黒犬を主人公に軍隊生活を描いた漫画(全10冊)です。ノラの黒犬が軍隊に入り、軍功をあげて、大尉まで昇進しいく様子を描いていて、当時の少年たちに愛読されましたが、1941年(昭和16)に内閣情報局から執筆禁止令を受け、連載が打ち切られました。また、戦前にアニメ映画化もされています。戦後も書き継がれ、引揚げてノラ犬に戻り、様々な曲折の末、お銀ちゃんと結婚、最後は喫茶店のマスターとなり、1980年(昭和55)に完結しました。1970年~71年と1987~88年の2回、テレビアニメ化もされています。
☆田河水泡関係略年表
・1899年(明治32)2月10日 東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区)で、メリヤス家内工業を営む父・高見澤孝次郎、母・わきの子として生まれる
・1900年(明治33) 母・わきが亡くなる
・1901年(明治34) 父再婚のため東京市深川区の伯父夫婦に預けられる
・1905年(明治38) 小学校へ入学する
・1922年(大正11) 除隊し帰国する
・1922年(大正11) 日本美術学校図案科(現・日本美術専門学校)に入学する
・1923年(大正12) 前衛美術グループ「MAVO(マヴォ)」に参加する
・1926年(大正15) 日本美術学校を卒業する
・1926年(大正15) 講談社に創作落語を持ち込み採用される
・1928年(昭和3) 松本夫妻を仲人に、小林富士子(小林秀雄の妹)と洋風の結婚式を挙げる
・1929年(昭和4) 漫画『人造人間』が初連載される
・1929年(昭和4) 講談社の雑誌「少年俱楽部」に漫画『目玉のチビちゃん』が連載される
・1930年(昭和5) ペンネームを田河水泡(たかみざわ)に変更する
・1931年(昭和6) 講談社の雑誌「少年俱楽部」に漫画『のらくろ二等卒』(『のらくろ』シリーズの最初)の連載が始まる
・1931年(昭和6) 「婦人子供報知」に漫画『蛸(たこ)の八ちゃん』を掲載する
・1933年(昭和8) 「婦人俱楽部」に漫画『凸凹(でこぼこ)黒兵衛』の連載を開始する(1936年まで)
・1934年(昭和9) 長谷川町子(のちの『サザエさん』の作者)が入門する
・1941年(昭和16) 内閣情報局から執筆禁止令を受け、漫画『のらくろ』の連載が打ち切られる
・1958年(昭和33) 潮書房の「丸」に『のらくろ自叙伝』の連載が開始される
・1967年(昭和42) 講談社より『のらくろ漫画全集』が刊行される
・1969年(昭和44) 紫綬褒章を受章する
・1969年(昭和44) 山野を買い取り、それを宅地分譲しながら教育を始め、町田市玉川学園八丁目に移住する
・1980年(昭和55) 『のらくろ喫茶店』で『のらくろ』シリーズは完結する
・1981年(昭和56)11月 講談社より『滑稽の構造』が刊行される
・1987年(昭和62)9月 講談社より『滑稽の研究』が刊行される
・1987年(昭和62)11月 勲四等旭日小綬章を受章する
・1989年(平成元)12月12日 肝臓がんのため90歳で亡くなる
・1991年(平成3) 妻によって、『のらくろ一代記 田河水泡自叙伝)』が出版される
・1998年(平成10) 遺族により、遺品が東京都江東区に寄贈される
・1999年(平成11) 東京都江東区の「森下文化センター」1階に常設展示館「田河水泡・のらくろ館」が開館する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1898年(明治31) | 小説家黒島伝治の誕生日 | 詳細 |
1947年(昭和22) | 「児童福祉法」が公布される | 詳細 |