今日は、飛鳥時代の天智天皇10年に、第38代の天皇とされる天智天皇の亡くなった日ですが、新暦では672年1月7日となります。
天智天皇(てんぢてんのう)は、626年(推古天皇34)に、田村皇子(のちの舒明天皇)の第2皇子(母はのちの皇極天皇)として生まれましたが、名は中大兄(なかのおおえ)といいました。629年(舒明天皇元)に父が舒明天皇として即位しましたが、641年(舒明天皇13)に亡くなり、翌年に母が皇極天皇として即位します。
645年(皇極天皇4)の乙巳の変で蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼし、叔父が孝徳天皇として即位し、皇太子となりました。同年に大化と改元され、古人大兄皇子を謀反の疑いにて処刑、難波長柄豊碕宮へ遷都、翌年には「改新の詔」が出されます。
律令体制成立期の政治を指導し、654年(白雉5)に孝徳天皇が亡くなり、翌年(斉明天皇元)に母が斉明天皇として即位(皇極天皇重祚)すると、引き続き皇太子となりました。660年(斉明天皇6)に百済使が百済が唐と新羅に攻め滅ぼされたと伝えると、翌年には百済再興を救援するために西下しましたが、母・斉明天皇が朝倉橘広庭宮にて亡くなり、皇太子として政治の実権を握り(称制)ます。
662年(天智天皇元)に阿倍比羅夫らを百済に派遣し、余豊璋を王位に就かせたものの、翌年の白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に大敗しました。664年(天智天皇3)に冠位二十六階を改制し、氏上・民部・家部を定め(甲子の宣)、667年(天智天皇6月)に近江大津宮へ遷って、翌年に第38代とされる天皇として即位し、大海人皇子を皇太弟とします。
中国の制度、文物を積極的に移入し、「近江令」の制定、戸籍(庚午年籍)の整備などを行ないました。670年(天智天皇9)に子の大友皇子を史上初の太政大臣に任じたものの、翌年に大海人皇子が吉野へ去る中、672年(天智天皇10年12月3日)に近江の大津宮において、数え年46歳で亡くなっています。
没後、大海人皇子と大友皇子の間で壬申の乱が起こり、大海人皇子が勝利して、天武天皇となりました。
<天智天皇の代表的な歌>
・「秋の田の仮庵の庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」(小倉百人一首)
・「君が目の恋ほしきからに泊てて居て斯くや恋ひむも君が目を欲り」(日本書紀)
・「わたつみの豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけかりこそ」(万葉集)
・「妹があたり継ぎても見むに大和なる大島の嶺に家居らましを」(万葉集)
〇天智天皇関係略年表(日付は旧暦です)
・626年(推古天皇34年) 田村皇子(のちの舒明天皇)の第2皇子(母はのちの皇極天皇)として生まれる
・629年(舒明天皇元年1月4日) 父が舒明天皇として即位する
・641年(舒明天皇13年10月9日) 父・舒明天皇が亡くなる
・642年(皇極天皇元年1月15日) 母が皇極天皇として即位する
・645年(皇極天皇4年6月12日) 乙巳の変で蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼす
・645年(孝徳天皇元年6月14日) 叔父が孝徳天皇として即位し、皇太子となる
・645年(大化元年9月) 古人大兄皇子を謀反の疑いにて処刑する
・645年(大化元年12月) 難波長柄豊碕宮へ遷都する
・646年(大化2年1月) 「改新の詔」を出す
・647年(大化3年) 渟足柵をつくる
・648年(大化4年) 磐舟柵をつくる
・649年(大化5年3月) 蘇我日向の密告を受け、蘇我倉山田石川麻呂を謀反の疑いにて自害に追い込む
・652年(白雉3年1月) 班田を行う
・653年(白雉4年) 孝徳天皇の意に反し、群臣らを率いて板蓋宮へ遷る
・654年(白雉5年10月10日) 孝徳天皇が難波宮で亡くなる
・655年(斉明天皇元年1月3日) 母・斉明天皇が即位(皇極天皇重祚)し、引き続き皇太子となる
・656年(斉明天皇2年) 岡本宮へ遷る
・658年(斉明天皇4年11月) 蘇我赤兄の密告を受け、孝徳天皇の遺児・有間皇子を謀反の罪にて処刑する
・659年(斉明天皇5年) 阿倍比羅夫に蝦夷国(東北地方・北海道)遠征を命じる
・660年(斉明天皇6年5月) 漏刻(水時計)を造らせる
・660年(斉明天皇6年9月) 百済使が百済が唐と新羅に攻め滅ぼされたと伝える
・661年(斉明天皇7年) 百済再興を救援するために西下する
・661年(斉明天皇7年7月24日) 母・斉明天皇が朝倉橘広庭宮にて亡くなり、皇太子のまま称制する
・662年(天智天皇元年5月) 阿倍比羅夫らを百済に派遣し、余豊璋を王位に就かせる
・663年(天智天皇2年7月20日) 白村江の戦いにて唐・新羅連合軍に大敗する
・664年(天智天皇3年2月) 冠位二十六階を改制し、氏上・民部・家部を定める(甲子の宣)
・667年(天智天皇6年3月) 近江大津宮へ遷る
・668年(天智天皇7年1月3日) 第38代とされる天皇として即位する
・668年(天智天皇7年2月) 大海人皇子を皇太弟とする。
・668年(天智天皇7年10月) 高句麗が唐と新羅に攻め滅ぼされる。この年、「近江令」制定?
・669年(天智天皇8年10月) 中臣鎌足が亡くなる前日に内大臣に任じ、藤原の姓を与える
・670年(天智天皇9年2月) 「庚午年籍」を造る
・670年(天智天皇9年11月) 子の大友皇子を史上初の太政大臣に任ずる
・671年(天智天皇10年10月) 大海人皇子が吉野へ去る
・672年(天智天皇10年12月3日) 近江の大津宮において、数え年46歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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