ガウスの歴史を巡るブログ(その日にあった過去の出来事)

 学生時代からの大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。その中でいろいろと歴史に関わる所を巡ってきましたが、日々に関わる歴史上の出来事や感想を紹介します。Yahooブログ閉鎖に伴い、こちらに移動しました。

2019年11月

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 今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、社会運動家・政治学者大山郁夫の亡くなった日です。
 大山郁夫(おおやま いくお)は、1880年(明治13)9月20日に兵庫県赤穂郡若狭野村(現在の相生市)の医者・福本剛策の次男として生まれました。1897年(明治30)、17歳の時に神戸の大山晨一郎の養子となり大山姓となります。
 1905年(明治38)に早稲田大学政治経済学科を首席で卒業し、翌年に早稲田大学講師となり、1910年(明治43)よりアメリカとドイツに4年ほど留学しました。帰国後、1915年(大正4)に早稲田大学教授(政治学)となりましたが、1917年(大正6)の早稲田騒動で大学を去り、朝日新聞大阪本社論説委員となります。
 しかし、翌年の米騒動をめぐる朝日の筆禍事件(白虹事件)を機に辞職し、吉野作造、福田徳三らの黎明会に参加、1919年(大正8)には長谷川如是閑、井口孝親らと我等社をつくって、雑誌『我等』を創刊しました。1921年(大正10)に早稲田大学教授に復帰、民人同盟会、文化会など学生団体を指導、1923年(大正12)には階級闘争説による『政治の社会的基礎』を出版、政治学に新しい分野を開いて注目されます。
 翌年に青野季吉、鈴木茂三郎、黒田寿男らと政治研究会を創立、1926年(大正15)に結成された無産政党・労働農民党に入党し、翌年には委員長に就任しました。「大山事件」で早稲田大学を辞任後、1928年(昭和3)の第16回衆議院議員総選挙に労働農民党から立候補しましたが、官憲の激しい選挙干渉で落選 その後結社禁止処分となります。
 1929年(昭和4)には新労農党を結成し委員長に就任、翌年の総選挙で同党より立候補し東京第5区から当選しました。1932年(昭和7)に夫人を伴い横浜港からひっそりアメリカへ渡り、翌年にノースウェスタン大学政治学部研究嘱託となります。
 太平洋戦争後の1947年(昭和22)に日本へ帰国、翌年に早稲田大学教授に復帰、1950年(昭和25)の参院選に日本社会党・日本共産党等構成の全京都民主戦線統一会議の支援を得て当選、平和を守る会会長ともなりました。1951年(昭和26)に早稲田大学教授を定年退職しましたが、世界平和評議会理事となり、平和運動に艇身し、スターリン国際平和賞を受賞したものの、1955年(昭和30)11月30日に、東京において、76歳で亡くなっています。

〇大山郁夫の主要な著作

・『政治の社会的基礎』(1923年)
・『現代日本の政治過程』(1925年)

☆大山郁夫関係略年表

・1880年(明治13)9月20日 兵庫県赤穂郡若狭野村(現在の相生市)の医者・福本剛策の次男として生まれる
・1897年(明治30) 17歳の時に神戸の大山晨一郎の養子となり大山姓となる
・1901年(明治34) 東京専門学校に入学する(在学中に早稲田大学政治経済学部に改組される)
・1905年(明治38) 早稲田大学政治経済学科を首席で卒業する
・1906年(明治39) 早稲田大学講師となる
・1910年(明治43) アメリカのシカゴ大学へ留学する
・1912年(明治45) ドイツのミュンヘン大学へ留学する
・1914年(大正3) 帰国する
・1915年(大正4) 早稲田大学教授(政治学)となる
・1917年(大正6) 早稲田騒動で大学を去り、朝日新聞大阪本社論説委員となる
・1918年(大正7) 米騒動をめぐる朝日の筆禍事件(白虹事件)を機に辞職する
・1918年(大正7)12月23日 吉野作造、福田徳三らの黎明会に参加する
・1919年(大正8)2月 長谷川如是閑、井口孝親らと我等社をつくって、雑誌『我等』を創刊する
・1921年(大正10) 早稲田大学教授に復帰する
・1923年(大正12) 軍事研究団反対運動への参加を契機に、早大内で大学の自由と自治擁護運動の中心となる
・1923年(大正12) 階級闘争説による『政治の社会的基礎』を出版、政治学に新しい分野を開いて注目される
・1924年(大正13)6月28日 嶋中雄三、青野季吉、鈴木茂三郎、黒田寿男、高橋亀吉らと政治研究会を創立する
・1924年(大正13) 学生研究会である社会科学研究会の会長に就任し、学生たちの指導にあたる
・1926年(大正15)3月 結成された無産政党・労働農民党に入党する
・1926年(大正15)12月 労働農民党の委員長に就任する
・1927年(昭和2) 「大山事件」で早稲田大学を辞任する
・1928年(昭和3)2月 第16回衆議院議員総選挙に労働農民党から立候補するが、官憲の激しい選挙干渉で落選する
・1928年(昭和3)4月 労働農民党が結社禁止処分となり解散させられる
・1929年(昭和4)11月 新労農党を結成し委員長に就任する
・1930年(昭和4) 総選挙で新労農党より立候補し東京第5区から当選する
・1932年(昭和7)3月 夫人を伴い横浜港からひっそりアメリカへ渡り、
・1933年(昭和8) ノースウェスタン大学政治学部研究嘱託となる、
・1947年(昭和22)10月 日本へ帰国する
・1948年(昭和23)4月 早稲田大学教授に復帰する
・1950年(昭和25)6月 参院選に日本社会党・日本共産党等構成の全京都民主戦線統一会議の支援を得て当選する
・1950年(昭和25) 平和を守る会会長となる
・1951年(昭和26)4月 早稲田大学教授を定年退職する
・1951年(昭和26) 世界平和評議会理事となる
・1951年(昭和26)12月 スターリン国際平和賞を受賞する
・1955年(昭和30)11月30日 硬膜下血腫のため76歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1204年(元久元)公家・歌人藤原俊成の命日(新暦12月22日)詳細
1945年(昭和20)ララ物資」第一便としてミルク・衣類など450トンが横浜港に到着する詳細
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 今日は昭和時代後期の1973年(昭和48)に、大洋デパート火災が起き、死者104名、負傷者124名を出した日です。
 大洋デパート火災(たいようデパートかさい)は、午後1時15分に熊本県熊本市(現在の同市中央区)下通1丁目3番10号にあった大洋デパートで起きた、火災事故でした。鉄筋コンクリート地下1階、地上13階建て・一部9階建ての建物の2階と3階をつなぐ階段付近から出火、初期消火が間に合わず、3階の寝具売り場は大量の可燃物があって火勢が強まり、3階以上に火の手が広がります。
 増築工事中のため、非常階段は取り外してあり、救助袋もなく、スプリンクラーなどの防火設備等が作動しませんでした。師走前のお歳暮商戦のため、女性中心に多くの買い物客がいましたが、館内放送もされず、避難誘導も不十分で、買い物客と店員数千人は停電で暗闇になった店内を逃げ惑ったうこととなります。
 その結果、3階以上延べ1万3,500平方mを全焼し、死者104名、負傷者124名を出す、日本の百貨店火災史上最悪の惨事となりました。犠牲者の多くは有毒ガスの中毒か窒息死でしたが、出火原因は特定されていません。

〇戦後のビル火災の大惨事一覧

・1972年(昭和47)5月13日 - 千日デパート火災(大阪府大阪市南区)死者118名、負傷者81名[日本のビル火災史上最悪の惨事]
・1973年(昭和48)11月29日 - 大洋デパート火災(熊本県熊本市)死者104名、負傷者124名[日本の百貨店火災史上最悪の惨事]
・1990年(平成2)3月18日 - 長崎屋火災(東京都千代田区)死者15名、負傷者8名
・2001年(平成13)9月1日 - 歌舞伎町ビル火災(東京都新宿区)死者44名

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1890年(明治23)大日本帝国憲法」が施行される詳細
第1回帝国議会が開会する詳細


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 今日は、明治時代前期の1878年(明治11)に、物理学者・随筆家・俳人寺田寅彦の生まれた日です。
 寺田 寅彦(てらだ とらひこ)は、東京市麹町区(現在の東京都千代田区)において、高知県士族の父・寺田利正と母・亀の長男として誕生しました。1881年(明治14)に祖母、母、姉と共に郷里の高知県高知市に転居し、1893年(明治26)に高知県尋常中学校(現在の県立高知追手前高等学校)に入学します。
 1896年(明治29)に熊本の第五高等学校に進み、英語教師夏目漱石、物理学教師田丸卓郎から大きな影響を受けて科学と文学を志し、翌々年には漱石を主宰とした俳句結社紫溟吟社を蒲生紫川、厨川千江らと起こしました。1899年(明治32) に東京帝国大学理科大学に入学し、田中館愛橘、長岡半太郎の教えを受けます。
 1903年(明治36)に首席卒業後、大学院へ進学、翌年から同大学の講師となり、1908年(明治41年)には「尺八の音響学的研究」により、理学博士号を取得しました。翌年助教授へ進み、ドイツのベルリン大学に留学、1911年(明治44)にはフランス、イギリス、アメリカ経由で帰国します。
 1913年(大正2)にX線回折のラウエ斑点の研究方法の改良を「Nature」誌に発表して認められ、1916年(大正5)に教授(物理学)に就任し、翌年には帝国学士院恩賜賞を受賞しました。病気療養中の1920年(大正9)頃から本格的に写生文を書きはじめ、『病室の花』(1920年)、『冬彦集』(1923年)、『藪柑子集』(1923年)、『万華鏡 (カレイドスコープ) 』 (1929年)などの著書を刊行します。
 一方、1922年(大正11)から航空研究所、1924年(大正13)から理化学研究所、1926年(大正15)地震研究所の研究員を兼任、各分野に独創的な業績を残しました。1928年(昭和3)には、帝国学士院会員ともなりましたが、1935年(昭和10)12月31日に、東京市本郷区の自宅において、57歳で亡くなっています。尚、「天災は忘れたころにやってくる」の有名な警句を残したことで知られてきました。

〇寺田寅彦の主要な著作

・『海の物理学』(1913年)
・『地球物理学』(1915年)
・随筆書『病室の花』(1920年)
・随筆書『冬彦集』(1923年)
・随筆書『藪柑子集』(1923年)
・随筆書『万華鏡 (カレイドスコープ) 』(1929年)
・『触媒』(1934年)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1872年(明治5)徴兵令詔書及ヒ徴兵告諭」が発布される(新暦12月28日)詳細
1883年(明治16)鹿鳴館が開館する詳細
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 今日は、明治時代の1890年(明治23)に、小説家・翻訳家・仏文学者・児童文学者豊島与志雄の生まれた日です。
 豊島与志雄(とよしま よしお)は、福岡県下座郡福田村(現在の朝倉市)で、士族の家に生まれました。福岡県中学修猷館、第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部仏文科に入学します。
 在学中の1914年(大正3)に、芥川龍之介、菊池寛、久米正雄らと第3次「新思潮」を刊行し、その創刊号に処女作となる『湖水と彼等』を発表、続いて同年に「帝国文学」に発表した『彼と彼の叔父』によって、文壇に登場しました。1915年(大正4)に大学を卒業後、1917年(大正6年)に小説集『生あらば』を刊行して、作家として認められます。
 生活のためピクトル・ユーゴ作『レ・ミゼラブル』の翻訳を始めましたが、ベストセラーとなり、続いてロマン・ロラン作『ジャン・クリストフ』(1920年)の翻訳も成功しました。1923年(大正12)に法政大学法文学部教授となり、旺盛な創作活動も行って、小説『野ざらし』(1923年)、小説集『人間繁栄』(1924年)などを刊行します。
 1932年(昭和7)に明治大学文芸科教授、翌年に評論集「書かれざる作品」を刊行、1935年(昭和10)に東京大学講師ともなって、フランス文学の研究・講義も進めました。太平洋戦争後は、活動を停止していた日本ペンクラブ再建に尽力し、1947年(昭和22)に幹事長に就任します。
 1949年(昭和24)に法政・明治両大学を辞職し、法政大学名誉教授となり、同年、日本芸術院会員ともなりました。その後も小説『どぶろく幻想』(1952年)、『山吹の花』(1954年)などの他に、数多くの児童文学作品も書きましたが、1955年(昭和30)6月18日に、東京において、64歳で亡くなっています。

〇豊島与志雄の主要な著作

・小説『湖水と彼等』(1914年)
・小説『彼と彼の叔父』(1914年)
・小説集『生あらば』(1917年)
・翻訳『レ・ミゼラブル』ピクトル・ユーゴ作(1918~19年)
・翻訳『ジャン・クリストフ』ロマン・ロラン作(1920年)
・小説『野ざらし』(1923年)
・小説集『人間繁栄』(1924年)
・評論『書かれざる作品』(1933年)
・小説集『道化役』(1934年)
・小説『白い朝』(1938年)
・小説集『白蛾』(1946年)
・小説『高尾ざんげ』(1948年)
・小説『どぶろく幻想』(1952年)
・小説『山吹の花』(1954年)
・童話集『夢の卵』
・童話集『エミリアンの旅』

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1886年(明治19)洋画家藤田嗣治の誕生日詳細
1942年(昭和17)戦時標語である「国民決意の標語」懸賞募集の入選と佳作が紙面上に発表される詳細


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 今日は、昭和時代前期の1935年(昭和10)に、日本ペンクラブが発足した日で、「ペンの日」ともされています。
 日本ペンクラブ(にほんペンクラブ)は、ロンドンに本部をもつ国際ペンクラブの日本センターとして創立(初代会長:島崎藤村)され、正宗白鳥、徳田秋声などが参加しました。国際連盟脱退後の外国への窓口の一つとして、外務省と国際文化振興会の斡旋で組織された経緯がありましたが、第二次世界大戦中は活動休止の状態となります。
 戦後、1947年(昭和22)に志賀直哉を会長として再建され、翌年国際ペンクラブにも復帰し、川端康成が会長(以後1965年まで)となりました。1957年(昭和32)には、アジアで初めて、第29回国際ペン大会を「東西両洋文学の相互影響」のテーマのもとに、日本で開催します。
 1965年(昭和40)には、創立30周年を記念し、創立記念日(11月26日)が「ペンの日」に定められました。現在は、詩人、劇作家、随筆家、編集者、小説家のいずれかに該当する文筆業従事者によって組織され、言論の自由、表現の自由、出版の自由の擁護と、文化の国際的交流の増進を目的とするNGOとなっています。
 2012年12月17日現在で1,758人の会員を有し、会報『PEN』、英文誌『Japanese Literature Today』を発行、日本文学の翻訳リスト『Japanese Literature in Foreign Languages 1945-1995』などを作成して、積極的に日本文学を海外に紹介してきました。

〇国際ペンクラブとは?

 1921年(大正10)に、イギリスの女性作家ドーソン・スコットの発意により、ジョン・ゴールズワージーらを中心として、文筆家の国際的な親善を通じて世界平和を実現するために、ロンドンで設立されます。正式名称は、「International Association of Playwriters, Poets, Editors, Essayists and Novelists」で、ペンP. E. N.クラブとも呼ばれてきました。
 創立当初は食事の会程度の規模でしたが、フランスペンクラブがつくられて以後、国際的な組織としての体裁を徐々に整えていきます。1923年(大正12)には、第1回の国際ペン大会がロンドンで開催され、初代会長にゴールズワージーが選ばれました。
 以後、第二次世界大戦中の中断はありましたが、毎年1回、各国センターの持ち回りで国際ペン大会を開催しています。「国際PEN憲章」を定め、表現の自由・人権の尊重・平和主義を掲げて、組織内に獄中作家委員会、平和のための作家委員会、翻訳・言語権委員会、女性作家委員会などを設けて活動してきました。

「国際PEN憲章」
1、文芸著作物は、国境のないものであり、政治的なあるいは国際的な紛糾にかかわりなく人々の間で共有する価値あるものたるべきである。
2、芸術作品は、汎く人類の相続財産であり、あらゆる場合に、特に戦時において、国家的あるいは政治的な激情によってそこなわれることなく保たれなければならない。
3、PENの会員たちは、諸国間の時理解と相互の尊敬のためにその持てる限りの影響力を活用すべきである。人間間、階級間、国家間の憎しみを取り除くことに、そして世界に生きる一つの人類という理想を護るために、最善の努力を払うことを誓う。
4、PENは、各国内及びすべての国の間で思想の交流を妨げてはならないという原則を支持し、会員たちはみずからの属する国や社会、並びに全世界を通じてそれが可能な限り、表現の自由に対する抑圧に反対することを誓う、PENは言論報道の自由を宣言し、平時における専制的な検閲に反対する。PENは、より高度な政治的経済的秩序世界への世界が必要としている進歩を成し遂げるには、政府、行政、司法制度に対する自由な批判が不可欠であると信ずる。なた自由は自制を伴うものであるが故に、会員たちが政治的個、意図的目的のための欺瞞の出版、意図的な虚構、事実の歪曲など言論不動にまつわる悪弊に反対することを誓う。

〇日本ペンクラブ歴代会長一覧

・島崎藤村(初代:1935~1943年)
・正宗白鳥(第2代:1943~1947年)
・志賀直哉(第3代:1947~1948年)
・川端康成(第4代:1948~1965年)
・芹沢光治良(第5代:1965~1974年)
・中村光夫(第6代:1974~1975年)
・石川達三(第7代:1975~1977年)
・高橋健二(第8代:1977~1981年)
・井上靖(第9代:1981~1985年)
・遠藤周作(第10代:1985~1989年)
・大岡信(第11代:198~1993年)
・尾崎秀樹(第12代:1993~1997年)
・梅原猛(第13代:1997~2003年)
・井上ひさし(第14代:2003~2007年)
・阿刀田高(第15代:2007~2011年)
・浅田次郎(第16代:2011~2017年)
・吉岡忍 (第17代:2017年~)

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1906年(明治39)南満洲鉄道株式会社が設立される詳細
1957年(昭和32)東京都奥多摩町に上水道・発電用の小河内ダムが完成する詳細
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