今日は、昭和時代前期の1934年(昭和9)に、小説家・児童文学作家灰谷健次郎の生まれた日です。
灰谷健次郎(はいたに けんじろう)は、兵庫県神戸市の貧しい家庭に生まれ、働きながら定時制高校商業科を卒業し、大阪学芸大学(現在の大阪教育大学)学芸学部へ入学しました。卒業後、小学校教師となり、一方で児童詩誌『きりん』の編集に携わるようになり、自らも詩や小説を書き、1965年(昭和40)に『せんせいけらいになれ』を発表します。
1967年(昭和42)に長兄の自殺、翌年には母が亡くなり、1971年(昭和46)には、17年間勤めた小学校教師を辞めました。沖縄やアジア各地を放浪した後、1974年(昭和49)長編小説『兎(うさぎ)の眼(め)』を発表、不幸な境遇の子にヒューマンな愛情を注ぐ若い女教師をえがき、ベストセラーとなり、日本児童文学者協会新人賞を受賞します。
続いて、1978年(昭和53)発表の『太陽の子』もミリオンセラーとなり、同年の『ひとりぼっちの動物園』では小学館文学賞を受賞しました。それらの文学的業績によって、1979年(昭和54)に第1回路傍の石文学賞を受賞、その後、『灰谷健次郎エッセイ集 島へゆく』(1981年)、『灰谷健次郎エッセイ集 島で暮す』(1982年)、『きりんの詩集 子どもの詩が生まれた』3冊(1986年)、長編小説『天の瞳(ひとみ)』(1996~2004年)などを著します。
しかし、2006年(平成18)11月23日に、静岡県内の病院において、72歳で亡くなっています。
〇灰谷健次郎の主要な著作
・『せんせいけらいになれ』(1965年)
・『兎の眼(うさぎのめ)』(1974年)日本児童文学者協会新人賞受賞
・『太陽の子』(1978年)
・『ひとりぼっちの動物園』(1978年)小学館文学賞受賞
・林竹二との対談『対談 教えることと学ぶこと』(1979年)
・『わたしの出会った子どもたち』(1981年)
・エッセイ集『灰谷健次郎エッセイ集 島へゆく』(1981年)
・エッセイ集『灰谷健次郎エッセイ集 島で暮す』(1982年)
・『島物語』全5冊(1983~98年)
・『我利馬(ガリバー)の船出』(1986年)
・詩集『きりんの詩集 子どもの詩が生まれた』3冊(1986年)
・『灰谷健次郎アクショントーク わたしの子ども時代・青春時代』(1990年)
・『林先生に伝えたいこと』(1991年)
・エッセイ集『優しい時間』(1996年)
・長編小説『天の瞳(ひとみ)』(1996~2004年)
・『はるかニライ・カナイ』(1997年)
・エッセイ集『いのちまんだら』(1998年)
・紀行『アジアを生きる』写真は石川文洋(2001年)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1884年(明治17) | 秩父事件が起きる | 詳細 |
1943年(昭和18) | 「軍需会社法」が公布される | 詳細 |