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 今日は、明治時代後期の1907年(明治40)に、第1回文部省美術展覧会(通称:文展)が東京上野の元東京勧業博覧会内美術館で開催された日です。
 文部省美術展覧会(もんぶしょうびじゅつてんらんかい)は、文部省が主催した総合的な美術展覧会で、政府が主宰する美術展覧会(官展)としては最初のものでした。日本美術、洋風美術それぞれの新旧諸流派が対立し反目し合う美術界に共通の場を与え、抗争を収拾して美術の振興を図ることを目的として設けられたものです。
 政府が美術振興政策として、1907年(明治40)6月に勅令をもって「美術審査委員会官制」を発布し、その後「美術展覧会規程」を公布、文部省に美術審査委員会を設け、毎年一回展覧会を開催することとしました。そして、同年10月25日から、第1回展が東京の上野公園の元東京勧業博覧会内美術館で開催(入場料10銭)されます。
 日本画・洋画・彫塑の総合展とし、この3部門で公募され、審査の上で、優秀作品が決められて展示されましたが、11月末までの37日間の会期中に43,741人が来場しました。1918年(大正7)までに12回開催され、来場者も増加していったものの、審査員の選出、官僚的な運営など弊害が絶えず、翌年に新たに「帝国美術院規定」が制定され、帝国美術院展覧会(通称:帝展)に改組されます。1926年(昭和元)から「美術工芸」が加えられて4部門となり、1932年(昭和7)から創作版画も加えられました。
 1937年(昭和12)には帝国美術院の廃止にともない復活(通称:新文展)し、太平洋戦争後の1946年(昭和21)には日本美術展覧会(通称:日展)と改称されて再出発します。しかし、1958年(昭和33)からは、民間団体である社団法人「日展」の運営となり、官展としては消滅しました。
 以下に、「美術審査委員会官制」(明治40年6月6日勅令第220号)を掲載しておきますので、ご参照下さい。

<第1回文部省美術展覧会(文展)の出品数と優秀作品>

・日本画部門は99点が出品され、一等賞はなく、二等賞に木島桜谷の「しぐれ」、野田九浦の「辻説法」、菱田春草の「賢首菩薩」と3人が選ばれ、24人が三等賞となる。
・洋画部門は91点が出品され、一等賞はなく、二等賞は和田三造の「南風」が選ばれ、10人が三等賞となる。
・彫刻部門は16点が出品され、一等賞・二等賞はなく、米原雲海と毛利教武の2人が三等賞となる。

☆文部省美術展覧会(文展)の入場者数推移

・[第1回]1907年(明治40) 37日間・43,741人入場(1日平均1,182人) 
・[第2回]1908年(明治41) 40日間・48,535人入場(1日平均1,213人) 
・[第3回]1909年(明治42) 41日間・60,535人入場(1日平均1,476人) 
・[第4回]1910年(明治43) 41日間・76,363人入場(1日平均1,862人) 
・[第5回]1911年(明治44) 37日間・92,765人入場(1日平均2,507人) 
・[第6回]1912年(大正元) 37日間・161,795人入場(1日平均4,372人) 
・[第7回]1913年(大正2) 35日間・168,708人入場(1日平均4,820人) 
・[第8回]1914年(大正3) 35日間・146,486人入場(1日平均4,185人) 
・[第9回]1915年(大正4) 32日間・183,418人入場(1日平均5,731人) 
・[第10回]1916年(大正5) 38日間・231,691人入場(1日平均6,097人) 
・[第11回]1917年(大正6) 36日間・242,662人入場(1日平均6,740人) 
・[第12回]1918年(大正7) 36日間・258,371人入場(1日平均7,176人) 

〇「美術審査委員会官制」(明治40年6月6日勅令第220号) 

第一条 美術審査委員会ハ文部大臣ノ監督ニ属シ美術展覧会ノ出品ヲ審査ス
 美術展覧会ニ関スル規程ハ文部大臣之ヲ定ム

第二条 美術審査委員会ハ委員長及委員ヲ以テ之ヲ組織ス
 委員長ハ文部次官ヲ以テ之ニ充ツ
 委員ハ文部大臣ノ奏請ニ依リ内閣ニ於テ之ヲ命ス

第三条 委員ノ任期ハ三年トス

第四条 委員長ハ会務ヲ統理シ審査ノ成績ヲ文部大臣ニ報告ス

第五条 委員ハ委員長ノ指揮ヲ承ケ審査ニ関スル事務ヲ掌ル

第六条 美術審査委員会ハ左ノ三部ニ分チ委員ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ其ノ一ニ属ス但シ他ノ部員ヲ兼ヌルコトヲ得
 第一部 日本画
 第二部 西洋画
 第三部 彫刻

第七条 美術審査委員会ニ主事一人ヲ置キ文部部門ノ高等官ヲ以テ之ニ充ツ
 主事ハ委員長ノ指揮ヲ承ケ庶務ヲ整理ス

第八条 美術審査委員会ニ書記五人ヲ置キ文部部内ノ判任官ヲ以テ之ニ充ツ
 書記ハ上司ノ指揮ヲ承ケ庶務ニ従事ス

第九条 委員長、委員、主事及書記ニハ事務ノ繁簡ニ従ヒ手当ヲ給スルコトヲ得

附則
 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

  「文部科学省ホームページ」より

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