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 今日は、明治時代前期の1872年(明治5)に、小説家・劇作家岡本綺堂の生まれた日ですが、新暦では11月15日となります。
 岡本綺堂(おかもと きどう)は、東京の芝高輪(現在の東京都)で、120石取の御家人で維新後にイギリス公使館に書記として勤めていた父・岡本敬之助の長男として生まれましたが、本名は敬二(けいじ)と言いました。幼時から父に漢文素読、漢詩を学び、叔父と公使館留学生からは英語を学びます。
 平河小学校(現在の千代田区立麹町小学校)卒業後、東京府尋常中学(のちの東京府立一中、現在の東京都立日比谷高等学校)に進み、在学中から劇作に志しました。卒業後は、1890年(明治23)に東京日日新聞へ入社、新聞社を移り、1893年(明治26)には中央新聞社会部長となって劇評も担当、その後各社を転々としつつ劇評を執筆、また劇作に励みます。
 1896年(明治29)に「歌舞伎新報」に処女戯曲『紫宸殿』を発表、1902年(明治35)には、岡鬼太郎との合作『金鯱噂高浪』が歌舞伎座で上演されました。1908年(明治41)に『維新前後』が明治座で2世市川左団次によって上演され、1911年(明治44)に『修禅寺物語』が出世作となってから、主として左団次のために作品を提供、新歌舞伎のジャンルを確立します。
 1913年(大正2)からは作家活動に専念し、新聞連載の長編や探偵物、怪奇怪談作品を多数執筆しました。特に江戸市井の生活に関する造詣が深く、1916年(大正5)から新聞連載した『半七捕物帳』(68編)で推理小説の新しい領域を開拓します。
 1930年(昭和5)に、後進を育てるために月刊戯曲雑誌「舞台」を発刊、監修を務めました。1937年(昭和12)には、演劇界から初の芸術院会員ともなりましたが、1939年(昭和14)3月1日に、東京において、68歳で亡くなっています。

〇岡本綺堂の主要な著作

・戯曲『紫宸殿』(1896年)
・戯曲『金鯱噂高浪 (きんのしゃちうわさのたかなみ) 』岡鬼太郎との合作 (1902年)
・戯曲『維新前後』(1908年)
・戯曲『修禅寺物語』(1909年)
・戯曲『室町御所』(1913年)
・戯曲『鳥辺山(とりべやま)心中』(1915年)
・戯曲『番町皿屋敷』(1916年)
・小説『半七捕物帳』(1916~37年)
・回顧記『ランプの下にて』(1920~25年)
・戯曲『俳諧師』(1921年)
・戯曲『相馬の金さん』(1927年)
・回顧記『明治劇談 ランプの下にて』(1935年)
・戯曲『時雨ふる夜』
・戯曲『風鈴蕎麦屋』
・戯曲『佐々木高綱』
・戯曲『尾上伊太八(おのえいだはち)』
・戯曲『梅の由兵衛(よしべえ)』
・戯曲『権三(ごんざ)と助十(すけじゅう)』
・戯曲『新宿夜話』
・戯曲『三浦老人昔話』
・戯曲『三河万歳』
・戯曲『正雪(しょうせつ)の二代目』
・戯曲『おさだの仇討(あだうち)』

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

743年(天平15)聖武天皇が「大仏建立の詔」(東大寺大仏建立)を発する(新暦11月5日)詳細
1956年(昭和31)天竜川中流に佐久間ダムが竣工し、完成式が行われる詳細