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 今日は、昭和時代前期の1938年(昭和13)に、北炭夕張炭鉱(天龍坑)で炭塵爆発が起こり、死者161人、負傷者21人を出した日です。
 この事故は、北海道炭礦汽船(北炭)が経営する天龍坑で午前9時50分頃に起きたガス炭塵爆発事故で、発破による爆破が炭塵爆発を誘発し、ロング切羽だけでなくロング周辺の坑道から幹線坑道にまでおよぶ大火災に発展したものでした。当時、鉱夫314人、係員18人の計332人が入坑中で、100数十人が脱失したり、救出されたものの、一酸化炭素中毒などにより病院で死亡する人も出て、死者161人、負傷者21人を出す大惨事となります。
 「夕張市史」によると、「この時期二礦は採炭方式に上下二切羽ダブルユニット式長壁採炭およびロープドライブ式ベルトコンベアによる運搬法が取られていたが、切羽両内やゲート坑道に於ける運搬機の発達は長壁式採炭の規模をますます大型化させさまざまな採炭方式を生み出していた。この方法は上下二切羽の出炭を一本のゲート坑道で運ぶ方式で盤下坑道に循環機を設置し、ロープによってベルトを運転する方法であったが、結果的に保安上の通気対策や炭塵防止対策を無視したために爆発事故を引き起こしたもので以後この方式は中止された。」と書かれました。
 この坑道は爆発事故が起きて閉鎖しましたが、模擬坑道は鉱員養成の場として残され、坑口跡もすぐ近くにあります。その後、一般市民も見学可能な施設となり、市民や小学生の社会科見学にも使用されてきました。

〇北炭夕張炭鉱とは?

 北海道夕張市北西部にあった北海道炭礦汽船(北炭)が経営する炭鉱でした。1874年(明治7)お雇い外国人のベンジャミン・スミス・ライマン(アメリカ人地質学者)が、夕張川上流に石炭層の存在を推定し、1888年(明治21)に坂市太郎がシホロカベツ川上流で石炭の大露頭を発見します。
 翌年、堀基(もとい)により、北海道炭礦鉄道会社が発足、夕張採炭所創設され、1890年(明治23)から夕張炭鉱の開発に着手、第一鉱を開坑(以後第二鉱、第三鉱、清水沢鉱も開坑)しました。
 2年後には採炭が開始され、追分駅~夕張駅間に鉄道も敷設されます。1896年(明治29)に北海道炭礦鉄道株式会社に社名変更、1906年(明治39)の「鉄道国有法」公布に伴い、北海道の幹線鉄道約200kmを国に売却し、北海道炭礦汽船株式会社となりました。
 優良な鉄鋼コークス用原料炭を産出しましたが、1912年(明治45)4月29日に第二斜坑ほかの爆発事故(死者267人)を起こして以後、1920年(大正9)6月14日の北上坑(死者・行方不明者209人)、1938年(昭和13)10月6日の天龍坑(死者161人)など、何度も爆発事故を起こし、多くの犠牲者も出しています。
 1960年代の最盛期には、年間100~150万tの出炭量を誇りましたが、採炭条件の悪化などにより、1971年(昭和46)に第二鉱閉山、1973年(昭和48)に第一鉱閉山に追い込まれました。
 しかし、1975年(昭和50)に、東部地区に開発された北炭夕張新炭鉱の営業出炭を開始して挽回しつつ、1977年(昭和52)北炭夕張新第二炭鉱が閉山します。
 ところが、1981年(昭和56)10月16日に、夕張新鉱でのガス突出事故で死者93人を出す惨事を招いて経営が悪化、同年12月に「会社更生法」を申請して事実上倒産、この夕張新鉱も翌年10月に閉山して従業員約 2,000人全員が解雇されるに至りました。
 炭鉱の跡は、現在では「石炭博物館」という文化施設となり、見学することが可能となっています。石炭と炭鉱のテーマに分け、石炭の生成から開発、利用など技術や労働、生活を実物の資料、坑道、石炭層などから紹介し、採炭現場の動態展示など石炭産業関連としては世界でも有数の博物館となりました。

〇北炭夕張炭鉱の主要な爆発事故

・1912年(明治45)4月29日 北炭夕張炭鉱(第二斜坑ほか)にて爆発事故で死者267人
・1912年(大正元)12月23日 北炭夕張炭鉱(第二斜坑ほか)にて爆発事故で死者216人
・1920年(大正9)6月14日 北炭夕張炭鉱(北上坑)にて爆発事故で死者・行方不明者209人
・1938年(昭和13)10月6日 北炭夕張炭鉱(天龍坑)にて爆発事故で死者161人
・1960年(昭和35)2月1日 北炭夕張炭鉱(第二鉱)にて爆発で死者42人
・1965年(昭和40) 北炭夕張炭鉱(第二鉱)にて爆発で死者62人
・1981年(昭和56)10月16日 夕張新鉱でのガス突出・爆発事故で死者93人

☆日本の主な炭鉱事故

・1899年6月15日 豊国炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者210人]
・1907年7月20日 豊国炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者365人] 明治期最悪の事故
・1909年11月24日 大之浦炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者243人]
・1912年4月29日 北炭夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者276人]
・1912年12月23日 北炭夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者216人]
・1913年2月6日 二瀬炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者101人]
・1914年11月28日 新夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者423人]
・1914年12月15日 方城炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者687人] 日本の近代史上最悪の事故
・1916年 東見初炭鉱(山口県)海水流入事故[死者・行方不明者235人]
・1917年12月21日 大之浦炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者376人]
・1920年6月14日 北炭夕張炭鉱北上坑(北海道)爆発事故[死者・行方不明者209人]
・1927年3月27日 内郷炭鉱(福島県)坑内火災[死者・行方不明者136人]
・1935年5月6日 大倉鉱業茂尻炭鉱鉱慶三坑(北海道)爆発事故[死者95人]
・1938年10月6日 北炭夕張炭鉱天龍坑(北海道)爆発事故[死者161人]
・1939年1月21日 筑豊炭田貝島大之浦炭鉱東三坑(福岡県)爆発事故[死者92人]
・1941年3月18日 美唄炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者177人]
・1943年2月3日 長生炭鉱(山口県)海水流入事故[死者・行方不明者183人]
・1944年5月16日 美唄炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者109人]
・1958年9月25日 池本鉱業大昇炭鉱(福岡県山田市)ガス爆発[死者14人]
・1960年 豊州炭鉱(福岡県)落盤[死者・行方不明者67人]
・1960年2月1日 北炭夕張炭鉱(北海道夕張市)ガス爆発[死者42人]
・1961年 上清炭鉱(福岡県)坑内火災[死者71人]
・1961年 大辻炭鉱(福岡県)坑内火災[死者26人]
・1963年11月9日 三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)爆発事故[死者458人] 太平洋戦争後最悪の事故
・1965年 北海道炭砿汽船夕張鉱業所(北海道夕張市)爆発事故[死者・行方不明者61人]
・1965年6月1日 三井山野炭鉱(福岡県嘉穂郡稲築町)爆発事故[死者・行方不明者237人]
・1970年 三井芦別炭鉱(北海道芦別市)ガス爆発事故[死者5人・重軽傷者7人]
・1972年11月2日 石狩炭鉱石狩鉱業所(北海道空知郡奈井江町)ガス爆発事故[死者31人]
・1977年5月12日 三井芦別炭鉱(北海道芦別市)ガス爆発事故[死者25人・重傷者8人]
・1981年10月16日 北炭夕張新炭鉱(北海道夕張市)ガス突出・爆発事故[死者は93人]
・1984年1月18日 三井三池炭鉱有明抗(福岡県三池郡高田町)坑内火災[死者83人]
・1985年5月17日 三菱南大夕張炭鉱(北海道夕張市)爆発事故[死者62人]