今日は、1554年(天文23)に、禅僧・連歌師・俳人山崎宗鑑が亡くなった日ですが、新暦では10月28日となります。
山崎宗鑑(やまざき そうかん)は、1465年(寛正6)に近江国で生まれたとされますが、出自については諸説あってはっきりしません。年少の頃より室町幕府第9代将軍足利義尚に仕え、近江守護佐々木高頼を攻めましたが、1489年(延徳元)に義尚が陣中で没したため剃髪し、摂津の尼崎に隠遁したと言われています。
1488年(長享2)に摂津の能勢頼則興行の千句にその名がみえ、連歌を得意とし、一休宗純とも親しく、淀川河畔の山城国山崎に庵「對月庵」を結んだので、山崎姓で呼ばれるようになりました。また、能書家でその書は宗鑑流とも言われ、人々の依頼を受けて数々の古典を書写しています。
連歌師宗長と俳諧の腕を競ったことは、『宗長手記』よって知られ、俳諧選集『犬筑波集』(古くは『俳諧連歌抄』と呼ばれた)を編纂したことは著名で、俳諧を独立した芸術とし、庶民世界を面白く詠みあげていて、近世俳諧の先駆をなすものでした。1523年(大永3)頃に山崎の地を去り、1528年(享禄元)に讃岐国(現在の香川県観音寺市)の興昌寺に「一夜庵」を結んだとされます。
この地において、1554年(天文23年10月2日)に、89歳で亡くなったとされますが、後世には、荒木田守武とともに俳諧の祖とされるようになりました。尚、辞世は「宗鑑は いづくへと人の 問うならば ちとよう(ヨウ)がありて あの世へといへ」です。
<代表的な句>
・「かしましや 此の里過ぎよ 時鳥 都のうつけ 如何に聞くらむ」
・「うづきゝて ねぶとに鳴くや 郭公(ほととぎす)」
〇『犬筑波集』抜粋
・下句「大長刀に 春風ぞ吹く」
上句「弁慶も 今日や火花を 散らすらん」
・下句「月日の下に 我は寝にけり」
上句「暦にて 破れをつづる 古衾」
・下句「上にかたかた 下にかたかた」
上句「三日月の 水にうつろふ 影見えて」
・下句「きりたくもあり きりたくもなし」
上句「盗人を とらへてみれば 我子なり」
・下句「霞の衣 裾はぬれけり」
上句「佐保姫の 春立ちながら 尿をして」