今日は、南北朝時代の1351年(観応2/正平6)に、臨済宗の僧夢窓疎石(夢窓国師)の亡くなった日ですが、新暦では10月20日となります。
夢窓疎石(むそう そせき)は、鎌倉時代の1275年(建治元)に、伊勢国で、宇多(うだ)源氏の出身とされる父・佐々木朝綱の子(母は平政村の娘)として生まれ、初名は智(ちかく)と言いました。4歳で甲斐国(現在の山梨県)に移住し、1283年(弘安6)に9歳で甲斐平塩寺の空阿の弟子となって密教を学び、1292年(正応5)に18歳で東大寺戒壇院で具足戒を受けます。
1294年(永仁2)20歳にして京都建仁寺の無隠円範に接し、禅宗に帰依し、その後鎌倉へ赴き、桃渓徳悟、約翁徳倹、一山一寧らを訪ねて教えを受けました。1300年(正安2)下野国(現在の栃木県)那須雲巌寺にとどまった後、ふたたび鎌倉に帰り、1303年(嘉元元)に万寿寺の高峰顕日に禅宗を学び、1305年(嘉元3)には浄智寺で印可を受けます。
それからも各地を遊歴し、甲斐の龍山庵(後の天龍山栖雲寺)や美濃の古谿庵(後の虎渓山永保寺)に草庵を営んだのち、土佐国五台山に吸江庵を結びました。1325年(正中2)に後醍醐天皇の要望により上洛し、勅願禅寺である南禅寺の住持となりますが、北条氏に請われて鎌倉に入り、1333年(元弘3/正慶2)に鎌倉幕府が滅亡すると、上京して再び南禅寺に入ります。
1335年(建武2)に後醍醐天皇から「夢窓国師」の国師号を授けられ、1339年(延元4年/暦応2年)に後醍醐天皇が亡くなると、足利尊氏に菩提を弔うため、全国に安国寺を建立し、利生塔を設置することを勧めました。また、冥福を祈るために尊氏が天龍寺を建てると、招かれて開山となり、天龍寺船による宋との貿易を促します。
多くの弟子を教化し、義堂周信や絶海中津、無極志玄、春屋妙葩らを出し、五山文化に影響を与え、庭園設計、詩偈、和歌にもすぐれましたが、1351年(正平6年/観応2年9月30日)に、京都の臨川寺三会院において、数え年76歳で亡くなりました。
〇夢窓疎石の主要な著作
・『夢中(むちゅう)問答集』
・『西山(せいざん)夜話』
・『谷響(こっきょう)集』
・『和歌集』
・『臨川寺家訓』
・『夢窓国師語録』
〇夢窓疎石作庭の庭園
・西芳寺庭園(京都市西京区)世界遺産、国の特別名勝
・天龍寺庭園(京都市右京区)世界遺産、国の特別名勝
・永保寺庭園(岐阜県多治見市)国の名勝
・瑞泉寺庭園(神奈川県鎌倉市)国の名勝
・恵林寺庭園(山梨県甲州市)国の名勝
・覚林房庭園(山梨県身延町)町指定文化財ほか
☆夢窓疎石関係略年表(日付は旧暦です)
・1275年(建治元年) 伊勢国で、父・佐々木朝綱の子(母は平政村の娘)として生まれる
・1278年(弘安元年) 4歳で甲斐国(現在の山梨県)に移住する
・1283年(弘安6年) 9歳で甲斐平塩寺の空阿の弟子となって密教を学ぶ
・1292年(正応5年) 18歳で東大寺戒壇院で具足戒を受ける
・1294年(永仁2年) 20歳にして京都建仁寺の無隠円範に接し、禅宗に帰依する
・1299年(正安元年) 鎌倉建長寺の一山一寧のもとで首座を勤める
・1300年(正安2年) 下野国(現在の栃木県)那須雲巌寺にとどまる
・1303年(嘉元元年) 鎌倉万寿寺の高峰顕日に禅宗を学ぶ
・1305年(嘉元3年) 鎌倉浄智寺で印可を受ける
・1305年(嘉元3年) 甲斐牧の荘の浄居寺を創建する
・1311年(応長元年) 龍山庵(後の天龍山栖雲寺)を結び一時隠棲する
・1313年(正和3年) 美濃国に古谿庵を開く
・1314年(正和4年) 美濃国に観音堂(虎渓山永保寺)を開く
・1317年(文保元年) 同門の元翁本元(仏徳禅師)に観音堂(虎渓山永保寺)の後事を託して上京する
・1319年(元応元年) 北条貞時夫人の請により鎌倉の勝栄寺に寓居する
・1325年(正中2年) 後醍醐天皇の要望により上洛し、勅願禅寺である南禅寺の住持となる
・1326年(正中3年) 南禅寺住持の職を辞し、伊勢の善応寺を開く
・1327年(嘉暦2年) 二階堂道蘊が鎌倉に瑞泉院(のちの瑞泉寺)を創建し、開山となる
・1330年(元徳2年) 甲斐守護の二階堂貞藤(道蘊)に招かれ牧庄内に恵林寺を創建、再び瑞泉寺に戻る
・1333年(元弘3年/正慶2年) 鎌倉幕府が滅亡すると、後醍醐天皇に招かれて臨川寺の開山を行う
・1334年(建武元年) 再び南禅寺の住職となる
・1335年(建武2年) 後醍醐天皇から「夢窓国師」の国師号を授けられる
・1335年(建武2年) 後醍醐天皇が皇子世良親王追悼のため、勅願寺として臨川寺を開創、開山に招かれる
・1339年(延元4年/暦応2年8月) 後醍醐天皇が亡くなる
・1339年(延元4年/暦応2年) 幕府の重臣(評定衆)である中原親秀に請われ、西芳寺の中興開山を行う
・1339年(延元4年/暦応2年) 足利尊氏が後醍醐天皇追悼の為、天龍寺建立を開始し、招かれて開山となる
・1342年(興国3年/暦応5年) 天龍寺船の派遣を献策する
・1345年(興国6年/貞和1年8月)光巌上皇・光明天皇臨幸のもとに後醍醐天皇七周忌と天龍寺落慶仏事を行う
・1346年(正平元年/貞和2年) 退席し、正覚国師の号を賜る
・1351年(正平6年/観応2年) 天龍寺に再住し、光巌上皇より心宗国師の号を賜る
・1351年(正平6年/観応2年9月30日) 京都の臨川寺三会院において、数え年76歳で亡くなる