今日は、鎌倉時代の1311年(応長元)に、武将・鎌倉幕府第10代執権北条師時の亡くなった日ですが、新暦では11月3日となります。
北条師時(ほうじょう もろとき)は、1275年(建治元年)に、北条宗政の子(母は北条政村の娘)として生まれましたが、通称は武蔵四郎と言いました。1281年(弘安4)に父・北条宗政が亡くなると伯父・北条時宗の猶子となり、1284年(弘安7)に10歳で小侍所別当となります。
翌年、11歳で左近将監・従五位下に叙爵し、1293年(永仁元)には19歳で評定衆となり、続いて、三番引付頭人、執奏となり、従五位上に昇叙しました。1299年(正安元)に正五位下に昇叙し、1301年(正安3年8月22日)には、出家した貞時のあとをうけて、鎌倉幕府第10代執権となりますが、実権は貞時に握られています。
同年9月に相模守となり、1304年(嘉元2)には従四位下に昇叙しました。1311年(応長元年9月21日)に出家し道覚と号しましたが、翌9月22日に鎌倉において、評定中にその座でそのまま死去(享年37歳)したと伝えられています。
〇北条師時関係略年表(日付は旧暦です)
・1275年(建治元年) 北条宗政の子(母は北条政村の娘)として生まれる
・1281年(弘安4年7月) 第2回元寇(弘安の役)が起きる
・1281年(弘安4年8月9日) 父・北条宗政が亡くなる
・1284年(弘安7年7月) 10歳で小侍所別当となる
・1285年(弘安8年) 11歳で左近将監・従五位下に叙爵する
・1285年(弘安8年11月) 霜月騒動が起きる
・1293年(永仁元年4月) 平頼綱の乱が起きる
・1293年(永仁元年5月30日) 評定衆となる
・1293年(永仁元年6月5日) 三番引付頭人となる
・1293年(永仁元年10月20日) 執奏となる
・1293年(永仁元年12月20日) 従五位上(19歳)となる
・1294年(永仁2年1月30日) 右馬権頭となる
・1297年(永仁5年7月) 二番引付頭人(23歳)となる
・1299年(正安元年2月27日) 正五位下(25歳)となる
・1301年(正安3年8月22日) 鎌倉幕府第10代執権となる
・1301年(正安3年9月27日) 相模守に遷任(27歳)される
・1304年(嘉元2年10月) 従四位下となる
・1311年(応長元年9月21日) 出家し道覚と号する
・1311年(応長元年9月22日) 鎌倉において、数え年37歳で亡くなる