kaganochiyojyo01

 今日は、江戸時代中期の1775年(安永4)に、俳人加賀千代女(千代尼)の亡くなった日ですが、新暦では10月2日となります。
 加賀千代女(かが の ちよじょ)は、1703年(元禄16)に、加賀国松任(現在の白山市八日市町)の表具師福増屋六兵衛の娘として生まれました。12歳の頃に奉公した本吉の北潟屋主人岸弥左衛門(俳号半睡、のち大睡)に俳諧を学び、1719年(享保4)17歳のとき、北越行脚中の各務支考にその才を認められ、諸国に知られるようになります。
 通説では 18歳の頃、金沢藩の足軽福岡弥八に嫁し1子をもうけ、夫や子に死別して松任に帰ったとされますが、結婚しなかったとも言われてきました。1725年(享保10)に、京の東本願寺に参詣、その途上伊勢俳壇中川乙由を訪問して入門します。
 1727年(享保12)には、支考の門人仙石廬元坊の来訪をうけ「松任短歌行」をなし、女流俳人として有名となりました。1754年(宝暦4)に剃髪して素園と号し、居室を草風庵と称するようになります。
 1764年(明和元)に、既白編の『千代尼句集』(546句載録)が刊行され、1771年(明和8年)には、その後編『俳諧松の声』(327句載録)が刊行されました。「朝顔に つるべ取られて もらい水」など平俗で親しみやすい句を詠みましたが、1775年(安永4年9月8日)に、加賀において、数え年73歳で亡くなっています。
 尚、生涯で1,700余の句を成したとされますが、辞世の句は「月も見て 我はこの世を かしく哉」でした。

<代表的な句>

・「池の雪 鴨あそべとて 明てありり」
・「昼顔の 行義に夜は 痩にけり」
・「朝顔に つるべ取られて もらい水」
・「月も見て 我はこの世を かしく哉」(辞世)

〇加賀千代女の主要な著作

・『吉崎紀行』(1762年)
・『千代尼句集』既白編(1764年)
・『自撰真蹟俳諧帖』(1768年)
・『俳諧松の声』既白編(1771年)