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 明治時代前期の1877年(明治10)に、東京上野公園で第1回内国勧業博覧会が開会された日です。
 内国勧業博覧会(ないこくかんぎょうはくらんかい)は、明治政府が殖産興業政策の一環として開催した国内生産物の博覧会で、明治時代に5回開催されました。第1回は、1877年(明治10)8月21日~11月30日の102日間、東京の上野公園で開催され、454,168人が入場し、経費122,410円かかっています。
 この博覧会は、1873年(明治6)のオーストリアのウィーン、1876年(明治9)のアメリカのフィラデルフィアなど海外の万国博覧会への参加経験によって、政府や識者に産業振興への博覧会の効用を考えさせ、内務卿大久保利通の建議によって開催の運びとなりました。農商務省が主管し、鉱業及び冶金術、製造物、美術、機械、農業、園芸の6分野において、14,455点が出品され、優秀作には賞牌や褒状が授与されています。
 その後、1881年(明治14年)に第2回(於:東京上野公園・入場者822,395人)、1890年(明治23年)に第3回(東京上野公園・入場者1,023,693人)、1895年(明治28年)に第4回(京都岡崎公園・入場者1,136,695人)、1903年(明治36年)に第5回(大阪天王寺今宮・入場者5,305,209人)と開催されて終了しました。
 これに刺激されて愛知県博覧会(1878年)、三重県博覧会(1880年)、宮城県博覧会(1880年)、京都府博覧会(1882~83年)などの地方博覧会が相次いで開催され、1884年(明治17)には2府5県で13件、1885年(明治18)には2府6県で9件の博覧会が行われています。

〇内国勧業博覧会一覧

・【第1回】1877年(明治10年)8月21日~11月30日(102日間)
 於:東京・上野公園―入場者454,168人、出品数14,455点、経費122,410円
・【第2回】1881年(明治14年)3月1日~6月30日(122日間)
 於:東京・上野公園―入場者822,395人、出品数85,366点、経費276,350円
・【第3回】1890年(明治23年)4月1日~7月31日(122日間)
 於:東京・上野公園―入場者1,023,693人、出品数167,066点、経費566,500円
・【第4回】1895年(明治28年)4月1日~7月31日(122日間)
 於:京都・岡崎公園―入場者1,136,695人、出品数169,098点、経費443,303円
・【第5回】1903年(明治36年)3月1日~7月31日(153日間)
 於:大阪・天王寺今宮―入場者5,305,209人、出品数276,719点、経費1,093,973円

☆「第1回内国勧業博覧会開催」の新聞記事

明治十年八月二十二日付
次に博覧会場の概略を挙げんには、先づ美術館を中央とし、右に連なるは農業館と東本館にて、左に園芸館、機械館と西本館なり。其他動物館迄の設けありて、天造人造の諸品余さず漏さず此覧場に集められしは、実に国家の進歩を卜すべき者にして目出度かりし景況は、拙き筆には書き尽すべくもあらねば、只かくばらりになん。(中略)さしも広き公園中に群集したる都鄙遠近の見物人は、錐を立るの地も残さず、午後より場中を縦覧せしものは幾万人なるを知らずといふ。又夜に入り不忍池にて挙げられたる花火は、涼みがてらの見物ゆゑ、昼にも劣らぬ雑沓なりしに、曇りの空の晴れざりしは、花火のためには却って一層の美観なりき。公園内の茶屋茶屋を始め、近傍の雁鍋其他の料理店には、人の充満せざる所なし。これらはよろしく押測り給へ。

    『明治新聞史料集成』 より