山鹿素行(やまが そこう)は、陸奥国会津(現在の福島県会津若松市)で、もと関一政に仕えた浪人山鹿貞以(山鹿高道とも)の次男(母は岡氏)として生まれましたが、名は高興(たかおき)と言いました。1627年(寛永4)6歳のとき、蒲生氏の改易で江戸に移り、父は町医を開業、1630年(寛永7)に林羅山の門に入って朱子学を学びます。
1636年(寛永13)に小幡景憲、北条氏長に入門、甲州流兵学を修め、21歳のときに印可を受け『兵法神武雄備集』を著しました。神道、歌学、老荘にも詳しく、博学をもって知られ、1652年(承応元)31歳のとき、播州赤穂藩主浅野長直に仕え、禄1,000石を与えられます。
1656年(明暦2)に『武教小学』、『武教要録』、『武教全書』などを著し独自の山鹿流兵学を完成しました。1660年(万治3)に浅野家を致仕後、1665年(寛文5)に『聖教要録』を刊行し、古学の立場を明らかにし、朱子学を批判したため、赤穂に流されて幽閉されましたが、1675年(延宝3)に許されて江戸に帰ります。
その後、江戸積徳堂で兵学を講じ、『原源発揮諺解』、『治平要録』などを著しました。1685年(貞享2年9月26日)に、江戸において、数え年64歳で亡くなりましたが、その兵学は幕末まで継承されます。
〇山鹿素行の主要な著作
・『兵法神武雄備集』(1651年)
・『四書諺解(げんかい)』(1651年)
・『四書句読(ししょくとう)大全』(1651年)
・『武教小学』(1656年)
・『武教要録』(1656年)
・『武教全書』(1656年)
・『聖教要録』(1665年)
・『山鹿語類』(1665年成立)
・『配所残筆』(1675年)
・『中朝事実(ちゅうちょうじじつ)』(1681年)
・『武教本論』
・『武家事紀』
・『謫居童問』
・『原源発揮諺解』
・『治平要録』
・『修教要録』