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 今日は、江戸時代中期の1734年(享保19)に、儒学者室鳩巣の亡くなった日ですが、新暦では9月9日となります。
 室鳩巣(むろ きゅうそう)は、1658年(万治元年2月26日)に、武蔵国谷中村(現在の東京都台東区谷中)において、室玄樸の子として生まれましたが、名は直清と言いました。
 年少の頃より書籍に親しみ、1672年(寛文12)に加賀藩主前田綱紀に仕えて、その命により京都の木下順庵の門下として朱子学を学び、「木門五子」の一人に数えられるようになります。1686年(貞享3)に加賀に赴任し、廃屋を買って住居としてから、鳩巣の号を用いるようになりました。
 1702年(元禄15)の赤穂事件の折には『赤穂義人録』を著し、主従の義を重んじる立場で浪士を讃えています。1711年(正徳元)に同門の新井白石の推挙によって江戸幕府儒官となり、江戸の駿河台に住むようになりました。
 白石失脚後も第8代将軍徳川吉宗の信任を得て、1722年(享保7)に侍講となり、学館高倉屋敷での講義や吉宗が寺子屋に配付させた『六諭衍義(りくゆえんぎ)大意』(清の『六諭衍義』の和訳)の著作にも当たります。幕政にも関与し、翌年には合理的な人材登用を可能にした足高の制を設けるなど、享保の改革を補佐しました。
 1725年(享保10)には西丸奥儒者となり、第9代将軍徳川家重の侍講も務めましたが、1734年(享保19年8月12日)に江戸において、数え年77歳で亡くなっています。門下からは中村蘭林、中根東里、河口静斎、大地奚疑、浅岡芳所、室勿軒などを輩出しました。

〇室鳩巣の主要な著作

・『明君家訓』(1692年成立か)
・『鳩巣文集』(1763年)
・『赤穂(あこう)義人録』(1703~04年)
・『兼山麗澤秘策』(1711~31年)
・『六諭衍義(りくゆえんぎ)大意』(1722年)
・『五常五倫名義』 (1723年)
・随筆『駿台雑話(すんだいざつわ)』(1732年)
・『不亡鈔(しょう)』4巻
・『国喪正義(こくそうせいぎ)』
・『献可録』