『臣民の道(しんみんのみち)』は、第3次近衛内閣時に文部省教学局より刊行された著作でした。1937年(昭和12)に盧溝橋事件によって日中全面戦争突入する前の5月31日に、文部省編纂『国体の本義』が全国の学校等へ配布されましたが、それと対を成す著作で、内閣の委嘱によって文部省にその編纂、刊行を委せられ教学局が1940年(昭和15)11月初旬から作り始め、3万部が第一版(A5版92ページ)として出来上ります。
その内容は、「教育勅語」の忠君愛国精神を強くかつ詳細に具現化したもので、家が集まって国をつくるのではなく、国すなわち家で、個々の家は国を本とし、臣民は「遊ぶ閑、眠る間と雖も国を離れた私はなく」と説きました。日本主義国体論を受け継ぎ、「天皇への帰一」と「滅私奉公」による国家への奉仕を国民に要求し、『国体の本義』と共に、太平洋戦争下の国民の精神生活を規制した基本的文献であったとされています。
この本に関して、1941年 (昭和16)7月23日付「大阪朝日新聞」では、「これは昭和十二年刊行の「国体の本義」の姉妹篇である。教学局では近日中に初版三万部を全国の国民学校、中等学校、高等専門学校に漏れなく一冊ずつ配布するが国民学校ではまずこの一冊を中心に教員の輪読会を行ってその内容を血となし肉となし直接授業の中へ織込むことは当然ながら祝祭日あるいは朝礼などの厳粛な機会にその一節一句を敷衍して少国民の指導に努めるはずである。さらにこの三万部のほか内閣印刷局では至急数十万部の「臣民の道」を上梓し廉価で一般に売出す計画で、超非常時の銃後に齎す影響は刮目していい」と報道しました。
以下に、『臣民の道』の章立てと序言の部分を掲載しておきますのでご参照下さい。
〇『臣民の道』の章立て
序言
第一章 世界新秩序の建設
一、世界史の轉換
二、新秩序の建設
三、國防國家體制の確立
第二章 國體と臣民の道
一、國體
二、臣民の道
三、祖先の遺風
第三章 臣民の道の實踐
一、皇國臣民としての修練
二、國民生活
結語
〇『臣民の道』(序言) 1941年(昭和16)7月21日文部省教学局発行
序言
皇國臣民の道は、國體に淵源し、天壤無窮の皇運を扶翼し奉るにある。それは抽象的規範にあらずして、歴史的なる日常實踐の道であり、國民のあらゆる生活・活動は、すべてこれ偏に皇基を振起し奉ることに歸するのである。
顧みれば明治維新以來、我が國は廣く知識を世界に求め、よく國運進展の根基に培つて來たのであるが、歐米文化の流入に伴なひ、個人主義・自由主義・功利主義・唯物主義等の影響を受け、ややもすれば我が古來の國風に悖り、父祖傳來の美風を損なふの弊を免れ得なかつた。滿洲事變發生し、更に支那事變起こるに及んで、國民精神は次第に昂揚して來つたが、なお未だ國民生活の全般に亙つて、國體の本義、皇國臣民としての自覺が徹底してゐるとはいひ難きものがある。ともすれば、國體の尊厳を知りながらそれが單なる觀念に止まり、生活の實際に具現せられざるものあるは深く憂ふべきである。かくては、我が國民生活の各般に於いて根強く浸潤せる歐米思想の弊を芟除し、眞に皇運扶翼の擧國體制を確立して、曠古の大業の完遂を期することは困難である。ここに於いて、自我功利の思想を排し、國家奉仕を第一義とする皇國臣民の道を昂揚實踐することこそ、當面の急務であるといはねばならぬ。