藤原冬嗣(ふじわら の ふゆつぐ)は、奈良時代の775年(宝亀6)に、藤原北家の出身で右大臣となった藤原内麻呂の次男(母は飛鳥部奈止麻呂の娘)として生まれました。806年(大同元)に、平城天皇が即位し、賀美能親王(後の嵯峨天皇)が皇太弟となった時、従五位下・春宮大進(とうぐうだいしん)となり、信任を得ます。
809年(大同4)に嵯峨天皇が即位すると一挙に従四位下・左衛士督に叙任されました。810年(大同5年9月)に起きた薬子の変に際して、嵯峨天皇が蔵人所を設置すると、巨勢野足と共に初代の蔵人頭に任ぜられ、乱収束後の11月には従四位上、翌年には参議に任ぜられ、公卿に列します。
その後、814年(弘仁5)に従三位、816年(弘仁7)に権中納言、817年(弘仁8)に中納言、818年(弘仁9)には正三位・大納言と急速に昇進しました。その中で、818年(弘仁9)に嵯峨天皇の勅命を受け編集させた『文華秀麗集』を撰上し、820年(弘仁11)に『弘仁格式』の編纂を主導し完成させ、821年(弘仁12)には、『内裏式』の編纂を主導し完成させ、国史の監修に参画するなど実績を積みます。
一方で、藤原北家隆盛のため、813年(弘仁4)に氏寺の興福寺に南円堂を建立させ、821年(弘仁12)には一族子弟の大学生のための寄宿舎として勧学院を建てさせるなどしました。
そして、821年(弘仁12)に右大臣、823年(弘仁14)に正二位、825年(天長2)には左大臣にまでなり、娘の順子を仁明天皇の后とするなど皇室との血縁関係を強く結び、藤原氏による摂関政治の基礎を築きましたが、826年(天長3年7月24日)に、数え年52歳で亡くなっています。没後、翌年に正一位を追贈され、850年(嘉祥3)には、太政大臣も贈られました。
尚、詩歌にも優れ、『凌雲集』、『文華秀麗集』、『経国集』に漢詩が、『後撰和歌集』には4首の和歌が採録されています。
〇藤原冬嗣関係略年表(日付は旧暦です)
・775年(宝亀6年) 藤原内麻呂の次男(母は飛鳥部奈止麻呂の娘)として生まれる
・794年(延暦13年10月) 平安京へ遷都される
・801年(延暦20年閏正月6日) 大判事となる
・802年(延暦21年3月) 左衛士大尉となる
・802年(延暦21年5月14日) 左衛士大尉となる
・806年(大同元年10月9日) 従五位下、春宮大進(春宮・賀美能親王)となる
・807年(大同2年正月23日) 春宮亮となる
・809年(大同4年正月16日) 兼侍従となる
・809年(大同4年2月13日) 右少弁となる
・809年(大同4年4月13日) 嵯峨天皇即位に伴い、正五位下に昇叙する
・809年(大同4年4月14日) 従四位下に昇叙し、左衛士督となる
・809年(大同4年5月5日) 兼大舎人頭となる
・809年(大同4年12月) 兼中務大輔となる
・810年(大同5年正月) 兼備中守となる
・810年(大同5年3月10日) 蔵人頭となる
・810年(大同5年7月16日) 美作守となる
・810年(大同5年9月) 薬子の変が起きる
・810年(大同5年9月6日) 造宮使となる
・810年(大同5年9月16日) 兼式部大輔となる
・810年(大同5年11月22日) 従四位上に昇叙する
・811年(弘仁2年正月29日) 参議となり、公卿に列する
・811年(弘仁2年6月) 左衛門督
・811年(弘仁2年10月11日) 兼春宮大夫(春宮:大伴親王)、停式部大輔
・812年(弘仁3年10月) 父服喪のため辞官する
・812年(弘仁3年11月28日) 復本官
・812年(弘仁3年12月5日) 正四位下に昇叙し、兼左近衛大将となる
・813年(弘仁4年) 興福寺に南円堂を建立させる
・814年(弘仁5年4月) 自邸閑院に嵯峨天皇を迎えて詩宴を催す
・814年(弘仁5年4月28日) 従三位に昇叙する
・816年(弘仁7年正月) 兼近江守となる
・816年(弘仁7年10月18日) 権中納言となる
・817年(弘仁8年2月2日) 中納言となる
・818年(弘仁9年) 嵯峨天皇の勅命を受け編集させた『文華秀麗集』が撰上される
・818年(弘仁9年6月16日) 正三位に昇叙し、大納言となる
・820年(弘仁11年4月) 『弘仁格式』の編纂を主導し完成させる
・821年(弘仁12年) 一族子弟の大学生のための寄宿舎として勧学院を建てる
・821年(弘仁12年正月9日) 右大臣となる
・821年(弘仁12年) 『内裏式』の編纂を主導し完成させる
・822年(弘仁13年正月7日) 従二位に昇叙する
・823年(弘仁14年4月27日) 正二位に昇叙する
・825年(天長2年4月5日) 左大臣となる
・826年(天長3年7月24日) 数え年52歳で亡くなる
・826年(天長3年7月26日) 正一位を追贈される
・850年(嘉祥3年7月17日) 太政大臣を追贈される