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 今日は、鎌倉時代の1315年(正和4)に、鎌倉幕府12代執権北条煕時の亡くなった日ですが、新暦では8月18日となります。
 北条煕時(ほうじょう ひろとき)は、1279年(弘安2年)に北条為時(政村流)の子として生まれましたが、初名は貞泰(さだやす)と言いました。1293年(永仁元)に従五位下左近衛将監に叙任され、1295年(永仁3)には、幕府の引付衆となります。
 1301年(正安3)に評定衆に異動、1305年(嘉元3)に長門探題となりましたが、同年4月に嘉元の乱が起こり、祖父の時村が討たれ、続いて北条宗方らが貞時らに滅ぼされ、自身も命を狙われたものの生き残りました。1309年(延慶2)に寄合衆を兼帯し、1311年(応長元)には連署となります。
 1312年(正和元年6月2日)に11代執権北条宗宣の出家に伴い、12代執権に就任しましたが、実権は内管領の長崎円喜・高資父子らによって掌握されていました。在職3年余りの1315年(正和4年7月11日)に執権を辞して出家し、道常を号しましたが、同月18日に、病のため鎌倉にて、数え年37歳で亡くなっています。
 また、歌人でもあり、『玉葉和歌集』、『新後撰和歌集』に4首入集しました。

〇北条煕時関係略年表(日付は旧暦です)

・1279年(弘安2年) 北条為時の子として生まれる
・1293年(永仁元年7月20日) 従五位下左近衛将監に叙任する
・1295年(永仁3年10月24日) 幕府の引付衆となる
・1299年(正安元年2月28日) 従五位上に昇叙する
・1301年(正安3年8月22日) 評定衆に異動する
・1301年(正安3年8月25日) 四番引付頭人を兼帯する
・1302年(乾元元年11月18日) 右馬権頭に転任する
・1302年(乾元元年9月11日) 六番引付頭人に異動する
・1304年(嘉元2年9月25日) 五番引付頭人に異動する
・1304年(嘉元2年12月7日) 四番引付頭人に異動する
・1305年(嘉元3年8月1日) 三番引付頭人に異動する
・1305年(嘉元3年8月22日) 二番引付頭人に異動する
・1305年(嘉元3年4月) 嘉元の乱が起こり、祖父の時村が討たれる
・1306年(徳治元年6月12日) 正五位下に昇叙する
・1307年(徳治2年1月28日) 一番引付頭人に異動する
・1307年(徳治2年2月9日) 武蔵守に遷任する
・1309年(延慶2年4月9日) 寄合衆を兼帯する
・1311年(応長元年10月3日) 連署に異動する
・1311年(応長元年10月24日) 相模守に遷任する
・1312年(応長2年6月2日) 執権に異動する
・1315年(正和4年7月11日) 出家して、道常を号する
・1315年(正和4年7月18日) 鎌倉にて、数え年37歳で亡くなる