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 今日は、平安時代前期の842年(承和9)に、第52代の天皇とされる嵯峨天皇の亡くなった日ですが、新暦では8月24日となります。
 嵯峨天皇(さがてんのう)は、奈良時代の786年(延暦5年9月7日)に、第50代の天皇とされる桓武天皇の第2皇子(母は皇后藤原乙牟漏)として生まれましたが、名は神野(かみの)と言いました。799年(延暦18)に元服、幼いころから聡明で読書を好み、君主としての器量を持ち、父に寵愛され、806年(大同元)に兄平城天皇の皇太弟となります。
 809年(大同4年4月1日)に兄平城天皇の病気による譲位をうけて即位しますが、翌年3月9月に平城上皇が藤原仲成、藤原薬子にそそのかされて復位を企てる薬子(くすこ)の変が起こり、これを鎮圧しました。また、蔵人所や検非違使を設置し、律令制を修正・補足した弘仁格式を施行します。
 823年(弘仁14)に異母弟の淳和天皇に譲位、その後も仁明天皇(嵯峨皇子)の代に没するまで、上皇として朝廷を抑えました。政治的安定期を出現させ、宮廷を中心に唐風の文化が栄え、賀茂斎院をはじめ白馬節会などの儀礼、年中行事が整えられます。
 自身も詩文・書道をよくし、空海、橘逸勢と共に三筆の一人に数えられましたが、842年(承和9年7月15日)に、数え年57歳で亡くなりました。

〇嵯峨天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・786年(延暦5年9月7日) 第50代の天皇とされる桓武天皇の第2皇子(母は皇后藤原乙牟漏)として生まれる
・799年(延暦18年) 元服する
・806年(大同元年) 兄平城天皇の皇太弟となる
・809年(大同4年4月1日) 兄平城天皇の病気による譲位をうけて即位する
・810年(弘仁元年3月) 蔵人所を設置し、巨勢野足と藤原冬嗣を蔵人頭に任命する
・810年(弘仁元年9月) 平城上皇が藤原仲成、藤原薬子にそそのかされて復位を企てる薬子の変が起こる
・810年(弘仁2年11月) 六衛府を改制する
・816年(弘仁7年) 検非違使を設置する
・820年(弘仁11年)、弘仁格式が成立する
・822年(弘仁13年) 最澄の悲願であった大乗戒壇の設立を認める
・823年(弘仁14年) 空海に東寺を賜う
・823年(弘仁14年4月16日) 異母弟の淳和天皇に譲位する
・833年(天長10年2月) 『令義解』が撰上される  
・833年(天長10年) 淳和天皇の譲位により、実子の仁明天皇が即位する
・842年(承和9年7月15日) 数え年57歳で亡くなる