今日は、江戸時代前期の1615年(元和元)に、江戸幕府が諸大名統制の為「武家諸法度」(元和令)を発布した日ですが、新暦では8月30日となります。
武家諸法度(ぶけしょはっと)は、江戸幕府が諸大名統制のために制定した基本法でした。天皇、公家に対する「禁中並公家諸法度」、寺家に対する「諸宗本山本寺諸法度」(寺院法度)と並んで、幕府による支配身分統制の基本となります。
1615年(慶長20)の大坂城落城による豊臣氏滅亡直後に伏見城に諸大名を集め、徳川秀忠の命という形で発布したのが最初となり、改元された年号を取って元和令とも呼ばれてきました。元々は1611年(慶長16)に徳川家康が大名から取り付けた誓紙3ヶ条に、家康の命によって金地院崇伝(こんちいんすうでん)が起草した10ヶ条を加えたもので、漢文体(宝永令から和文に改訂)となっています。
内容としては、一般的な規範や既に慣習として成立していた幕命などを基本法とし、「文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムヘキ事」を最初として、品行を正し、科人を隠さず、反逆・殺害人の追放、他国者の禁止、居城修理の申告を求め、私婚禁止、朝廷への参勤作法、衣服と乗輿の制、倹約、国主の人選について規定し、各条に注釈を付けていました。
その後、第3代将軍徳川家光のとき、参勤交代の具体的方法の規定や大船建造の禁などを加えて19ヶ条(寛永令)となり、一応の完成をみましたが、以後も時勢に応じて、寛文令(1663年)、天和令(1683年)、宝永令(1710年)と部分改訂が行われています。第8代将軍徳川吉宗のとき、宝永令を廃止して第5代将軍徳川綱吉の時の15ヶ条(天和令)への全面的な差し戻しをしてからは、幕末までほぼこれによることになりました。
将軍の代替りごとに諸大名にこれを読み聞かせ、違反者は厳罰に処されています。特に初期には、この違反を理由に、たびたび大名の改易が起きました。
以下に、「武家諸法度」の元和令(抄文)を注釈・現代語訳付きで掲載しておきましたので、御参照下さい。
〇「武家諸法度(元和令)」(抄文) 慶長20年7月7日発布
一、文武弓馬ノ道[1]、専ラ相嗜ムヘキ事。
文ヲ左ニシ武ヲ右ニスルハ、古ノ法也。兼備セサルヘカラス、弓馬ハ是レ武家ノ要枢也。兵ヲ号ンデ凶器トナス、已ムヲ得スシテ之ヲ用フ。治ニ乱ヲ忘レズ、何ゾ修錬ヲ励マサランヤ。
一、群飲佚游[2]ヲ制スヘキ事。
令条[3]ニ載スル所ノ厳制[4]殊ニ重シ、好色[5]ニ耽リ、博奕[6]ヲ業トスルハ、是レ亡国ノ基也。
一、法度[7]ヲ背ク輩、国々ニ隠シ置クヘカラサル事。……
一、国々ノ大名、小名并ヒニ諸給人[8]ハ、各々相抱ウルノ士卒[9]、反逆ヲナシ殺害ノ告有ラバ、速ヤカニ追出スヘキ事。……
一、自今以後[10]、国人ノ外、他国ノ者ヲ交置スヘカラサル事。……
一、諸国ノ居城、修補[11]ヲナスト雖、必ス言上スヘシ。況ンヤ新儀ノ構営[12]堅ク停止セシムル事。……
一、隣国ニ於テ新儀ヲ企テ徒党ヲ結ブ者[13]之有ラバ、早速ニ言上致スヘキ事。……
一、私ニ[14]婚姻を締ブベカラザル事。
夫れ婚合は陰陽和同の道也。容易にすべからず。……縁を以て党を成すは 是れ姦謀[15]の本也。
一、諸大名参勤[16]作法ノ事。
続日本紀制シテ日ク、公事ニ預ラス、恣ニ己ガ族ヲ集ムルヲ得ズ。京裡二十騎以上集行スルヲ得ズ云々。然レハ則チ多勢ヲ引率スベカラズ。百万石以下二拾万石以上二十騎ヲ過クベカラズ。十万石以下ハ其レ相応タルベシ、蓋シ公役ノ時ノ其分限[17]ニ随フベシ。
一、衣装ノ品、混雑スヘカラサル事。……
一、雑人、恣ニ乗輿スヘカラサル事。……
一、諸国ノ諸侍、倹約ヲ用イラルベキ事。……
一、国主[18]ハ政務ノ器用[19]ヲ撰フヘキ事。……
右、此ノ旨を相守るへき者也。
慶長廿年卯七月 日
『御触書寛保集成』より
【注釈】
[1]文武弓馬ノ道:ぶんぶきゅうばのみち=学問や武術。
[2]群飲佚游:ぐんいんいつゆう=酒宴や遊びにふけること。
[3]令条:れいじょう=法令の条文。
[4]厳制:げんせい=禁制。
[5]好色:こうしょく=色好みの女。また、遊女。
[6]博奕:ばくえき=双六・囲碁・花札など、勝負を争う遊戯の総称。また、金品をかけて行う勝負事。
[7]法度:はっと=法令。
[8]給人:きゅうにん=知行地を給与された上級家臣。
[9]士卒:しそつ=士官と兵卒。また、兵士。
[10]自今以後:じこんいご=これからのち。今後。
[11]修補:しゅうほ=修理。
[12]新儀ノ構営:しんぎのこうえい=新たに築城すること。
[13]徒党ヲ結ブ者:ととうをむすぶもの=仲間を集めて団結する者。
[14]私ニ:わたくしに=私的に。公儀の許可なく、勝手に。
[15]姦謀:かんぼう=悪だくみ。姦計。
[16]参勤:さんきん=京都にいる天皇に謁見すること。
[17]分限:ぶんげん=その人の社会的身分、地位。
[18]国主:こくしゅ=国持大名のことだが、ここでは諸大名の意味。
[19]器用:きよう=能力のある者。
<現代語訳>
一、学問や武術をみがくことにひたすら励むべきこと。
文武両道に励むことは、昔からの法である。文武両道を兼備しなければならない。武術は武家の要となることである。兵をさけんで凶器となる、やむを得ずしてこれを用いる。治に乱を忘れない、どうして修錬を励まないでいいことがあろうか。
一、酒宴や遊びに耽ったりしてはいけないこと。
法令の条文に掲載されている禁制は特別に重いものである。女遊びに耽り、勝負事に夢中となることは、国を亡ぼすもとである。
一、法令にそむいた者を国々に隠してはいけないこと。……
一、国々の大名、小名、ならびに諸々の知行地を持つ者は、それぞれの召し抱えている兵士に反逆人や殺害者がいたら、速やかに追い出すべきこと。……
一、今後、自分の国には国人以外の他国の者を留めてはいけないこと。……
一、諸国の居城を修理するときでも、必ず届けなければならない。まして、新たに築城することはかたく禁止すること。……
一、隣国において、新たに不穏な動きがあったり、仲間を集めて団結する者がいたら、速やかに届けなければならないこと。……
一、幕府の許可がないのに勝手に結婚の約束をしてはならないこと。
それ婚姻は陰陽和同の道である。容易にするべきではない。……婚姻関係を作って党を形成するのは、悪だくみのもとである。
一、諸大名が京都にいる天皇に謁見するときの法式のこと。
「続日本紀」で制して言うことには、「公事によらないで、ほしいままに自分の一党を集めることはできない。京裡に20騎以上集行してはいけない」云々とある。そんなわけなので、多勢を引き連れていってはいけない。100万石以下20万石以上の大名は20騎を超えてはならない。10万石以下はそれ相応の数とする、ただし、公役の時はその社会的身分、地位に随うこと。
一、服装やかざりものは、身分以上の上下のちがいを間違えないようにすること。……
一、身分の低い者が勝手にかごに乗ってはならないこと。……
一、諸国の侍の身分の者たちは、倹約に務めなければならないこと。……
一、諸大名は、政治能力のある者を選んでその地位につけるべきこと。……
右、この趣旨を守るべきものである。
慶長20年(1615年)卯7月 日