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 今日は、昭和時代後期の1978年(昭和53)に、小説家・中国文学者柴田錬三郎の亡くなくなった日です。
 柴田錬三郎(しばた れんざぶろう)は、大正時代の1917年(大正6)3月26日に、岡山県邑久郡鶴山村(現在の備前市)の地主だった父・柴田知太の三男として生まれましたが、本姓は斎藤といいました。旧制第二岡山中学校を経て、慶應義塾大学予科へ入学し、在学中に、『十円紙幣』を「三田文學」に発表します。
 1940年(昭和15)に、齋藤栄子と結婚して、齋藤家の婿養子となり、同年慶應義塾大学文学部支那文学科卒業しました。卒業論文は『魯迅論』で、魯迅に傾倒する一方キリシタンの知識も蓄積します。
 はじめ、内国貯金銀行、その後、月刊誌『書道』の編集部に就職、日本出版協会にも勤めましたが、1942年(昭和17)に召集されました。南方に派遣され、乗船が撃沈されたものの、漂流後奇跡的に生還します。
 太平洋戦争後は、『日本読書新聞』の再刊に奔走、編集者生活を経て、1949年(昭和24)から文筆に専念するようになりました。1951年(昭和26)に『イエスの裔(すえ)』で直木賞を受賞し、1956年「週刊新潮」の創刊とともに連載された『眠狂四郎無頼控』は、人気を博して剣豪小説ブームに先鞭をつけます。
 現代小説、伝奇小説なども手掛け、1970年(昭和45)には、『柴錬三国志 英雄ここにあり』で吉川英治文学賞を受賞しました。ベストセラー作家として活躍し、テレビドラマ化されたものもありましたが、1978年(昭和53)6月30日に、東京において、61歳で亡くなっています。

〇柴田錬三郎の主要な著作

・『十円紙幣 』(1938年)
・『デス・マスク』(1951年)第25回芥川賞・第25回直木賞候補
・『イエスの裔 (すえ) 』(1951年)第26回直木賞受賞
・『真説河内山宗俊』(1952年)
・『眠狂四郎無頼控』(1956~58年)
・『剣は知っていた』(1957年)
・『血汐笛(ちしおぶえ)』(1958年)
・『赤い影法師』(1960年)
・『異常の門 夢殿転精神帖』(1960年)
・『図々しい奴』(1960~61年)
・『柴錬三国志 英雄ここにあり』(1970年)吉川英治文学賞受賞
・『木乃伊(みいら)館』(1971年)