イメージ 1

 今日は、飛鳥時代の707年(慶雲4)に、第42代天皇とされる文武天皇の亡くなった日ですが、新暦では7月18日となります。
 文武天皇(もんむてんのう)は、683年(天武天皇12年)に父・草壁皇子、母・阿閉皇女(のち元明天皇)の子として生まれましたが、本名は軽(珂瑠)と言いました。689年(持統天皇3)に、幼くして父を亡くし、祖母持統天皇 (天武后) に擁護されて、697年(持統天皇11)に皇太子となります。
 同年に祖母持統天皇の譲位をうけて、藤原宮において14歳で即位したものの、祖母が後見役となりました。藤原不比等の娘宮子を夫人とし、701年(大宝元)に、第1皇子として首皇子 (のちの聖武天皇) が誕生します。
 この年に、刑部親王、不比等らに命じて編纂していた「大宝律令」(令11巻、律6巻)が完成し、翌年施行されました。他に、釈奠 (孔子を祭る儀式) を起こしたり、度量器(物差しと枡)を諸国に配布したりしています。
 また、災害や飢疫の流行などによる世情不安から、706年(慶雲3)には、王侯諸臣の山川薮沢の占有を禁じたり、田租の法を改めるになど諸制の改革を行ない、律令制を軌道修正しました。経史に通じ、射芸をよくしたと伝えられ、「懐風藻」に詩三首、「万葉集」に歌一首が見えます。
 しかし、平城京遷都を望んだものの果たせないまま、707年(慶雲4年6月15日)に、数え年25歳の若さで亡くなり、檜隈安古岡上陵に埋葬されました。

〇文武天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・683年(天武天皇12年) 父・草壁皇子、母・阿閉皇女(のち元明天皇)の子として生まれる
・689年(持統天皇3年) 幼くして父を亡くす
・694年(持統天皇8年) 藤原京に遷都される
・697年(持統天皇11年2月16日) 祖母持統天皇 (天武后) に擁護され、皇太子となる
・697年(文武天皇元年8月1日) 祖母持統天皇の譲位をうけて、藤原宮において14歳で即位する
・701年(大宝元年) 第1皇子として首皇子 (のちの聖武天皇) が誕生する
・701年(大宝元年8月3日) 刑部親王、不比等らに命じて編纂していた「大宝律令」が完成する
・701年(大宝元年) 初めて大学寮で、釈奠(孔子を祭る儀式)を起こす
・702年(大宝2年6月) 粟田真人、高橋笠間らの遣唐使を唐へ派遣する
・702年(大宝2年12月) 持統太上天皇が亡くなる
・702年(大宝2年) 「大宝律令」が施行される
・702年(大宝2年) 諸国に度量器を頒布する
・704年(慶雲元年) 鍛冶司に諸国の印を作らせる
・705年(慶雲2年4月) 大納言4人を2人とし、初めて中納言3人を設置する
・706年(慶雲3年3月) 王侯諸臣の山川薮沢の占有を禁じる、
・706年(慶雲3年9月) 田租の法を改める
・707年(慶雲4年6月15日) 数え年25歳の若さで亡くなり、檜隈安古岡上陵に埋葬される