今日は、昭和時代中期の1952年(昭和27)に、「日本国とインドとの間の平和条約」(通称:日印平和条約)が調印された日です。
「日本国とインドとの間の平和条約(にほんこくといんどとのあいだのへいわじょうやく)」は、太平洋戦争の交戦状態を終結させるための日本国とインドとの間で結ばれた平和条約でした。太平洋戦争の終結のため、1951年(昭和26)9月8日に、「サンフランシスコ平和条約」が調印されたのですが、ソ連や中国、インド、ビルマ、ユーゴスラビアなどが参加しない、いわゆる片面講和となります。
戦争中インドは、イギリスの統治下にありイギリス軍の一翼として日本軍と交戦し、日本降伏後は極東委員会、対日理事会、東京裁判の参加国となり、1947年(昭和22)8~9月の対日講和イギリス連邦会議(於:キャンベラ)にも加わっていました。サンフランシスコ講和会議にも招請を受けましたが、当時のインド首相ジャワハルラール・ネルーが「日本に名誉と自由を他の国々と同様に与えるべきである」と考え、会議への参加と条約への調印を拒否します。
その理由として、沖縄などの信託統治付託および占領下での防衛条約の締結に反対し、台湾の中国への返還、千島、南樺太のソ連への編入を実現すべきであると主張しました。しかし、日本との関係回復を否定するものではないとして、個別に平和条約を結ぶべく、交渉が行われます。
その結果、1952年(昭和27)6月9日に東京において調印に至り、同年8月27日にニューデリーで批准書交換が行われて、発効しました。その内容は、在インド日本財産の返還、賠償放棄など寛大なものとなっています。
以下に、「日本国とインドとの間の平和条約」の全文を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「日印平和条約(日本国とインドとの間の平和条約)」1952年(昭和27)6月9日調印、8月27日発効
インド政府は、千九百五十二年四月二十八日付の告示によつて日本国とインドとの間の戦争状態を終結したので、
日本国政府及びインド政府は、国際連合憲章の原則に基いて、両国国民の共通の福祉の増進並びに国際の平和及び安全の維持のため友好的な連携の下に協力することを希望するので、
日本国政府及びインド政府は、よつて、この平和条約を締結することを決定し、このため、その全権委員として次のとおり任命した。
日本国政府 日本国外務大臣 岡崎勝男
インド政府 日本国駐在特命全権大使 K・K・チェトゥール
これらの全権委員は、互にその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次の諸条を協定した。
第一条
日本国とインドとの間及び両国の国民相互の間には、堅固な且つ永久の平和及び友好の関係が存在するものとする。
第二条
(a)締約国は、その貿易、海運、航空その他の通商の関係を安定した且つ友好的な基礎の上に置くために、条約又は協定を締結するための交渉を開始することに同意する。
(b)該当する条約又は協定が締結されるまで、インド政府が日本国とインドとの間の戦争状態を終結する告示を発した日の後四年間、
(1)締約国は、航空交通の権利及び特権に関して相互に最恵国待遇を与えるものとする。
(2)締約国は、また、関税及びすべての種類の課徴金並びに貨物の輸入及び輸出に関連する制限その他の規制又は輸入若しくは輸出のための支払手段の国際的移転に課せられる制限その他の規制に関し、この関税及び課徴金の徴収の方法に関し、並びに輸入及び輸出に関連するすべての規則及び方式並びに通関に際して課せられる課徴金に関し、相互に最恵国待遇を与えるものとする。また、締約国のいずれかの一方がいずれかの他の国を原産地とし、又は当該国に仕向けられる産品に与える利益、特典、特権又は免除は、他方の締約国の領域を原産地とし、又は当該領域に仕向けられる同種の産品に直ちに且つ無条件に与えられるものとする。
(3)日本国は、海運、航海及び輸入貨物に関し、並びに自然人及び法人並びにそれらの利益に関してインドが内国民待遇を日本国に与える限度において、内国民待遇をインドに与える。この待遇は、税金の賦課及び徴収、裁判を受けること、契約の締結及び履行、財産権(有体財産及び無体財産に関するもの)、日本国の法律に基いて組織された法人への参加並びに一般にあらゆる種類の事業活動及び職業活動の遂行に関するすべての事項を含むものとする。
もつとも、本条の適用上、差別的措置であつて、それを適用する締約国の通商条約に通常規定されている例外に基くもの、その締約国の対外的財政状態若しくは国際収支を保護する必要に基くもの又は重大な安全上の利益を維持する必要に基くものは、事態に相応しており、且つ、ほしいままな又は不合理な方法で適用されない限り、内国民待遇又は最恵国待遇の許与を害するものと認めてはならない。
また、前記の(2)のいかなる規定も、千九百四十七年八月十五日前から存在し、又はインドが隣接国に与えている特恵又は利益には適用しないものとする。
(c)本条のいかなる規定も、日本国がこの条約の第五条に基いて引き受ける約束を制限するものとみなしてはならない。
第三条
日本国は、公海における漁猟の規制又は制限並びに漁業の保存及び発展を規定する協定を締結するために、インドが希望するときは、インドと交渉を開始することに同意する。
第四条
インドは、戦争の開始の時にインド国内に所在し、且つ、この条約の効力発生の時にインド政府の管理下にある日本国又はその国民のすべての有体財産及び無体財産並びに権利又は利益を現状において返還し、又は回復する。但し、その財産の保存及び管理のために要した費用があつたときは、日本国又は関係日本国民は、それを支払わなければならない。そのいずれかの財産が精算されているときは、その売得金を、上記の費用を差し引いた上で、返還されるものとする。
第五条
この条約が効力を生じた後九箇月以内に申請があつたときには、日本国は、その申請の日から六箇月以内に、日本国にあるインド及びその国民の有体財産及び無体財産並びに種類のいかんを問わずすべての権利又は利益で、千九百四十一年二月七日から千九百四十五年九月二日までの間のいずれかの時に日本国内にあつたものを返還する。但し、所有者が強迫又は詐欺によることなく自由にこれらを処分した場合は、この限りではない。
この財産は、戦争があつたために課せられたすべての負担及び課徴金を免除して、その返還のための課徴金を課さずに返還しなければならない。
所有者により若しくは所有者のために又はインド政府により所定の期間内に返還が申請されない財産は、日本国政府がその定めるところに従つて処分することができる。
この財産が千九百四十一年十二月七日に日本国に所在し、且つ、返還することができず、又は戦争の結果として損傷若しくは損害を受けている場合には、日本国の連合国財産補償法(昭和二十六年法律第二百六十四号)の定める条件よりも不利でない条件で補償される。
第六条
(a)インドは、日本国に対するすべての賠償請求権を放棄する。
(b)この条約に別段の定がある場合を除く外、インドは、戦争の遂行中に日本国及びその国民が執つた行動から生じたインド及びインド国民のすべての請求権並びにインドが日本国の占領に参加した事実から生じたインドの請求権を放棄する。
第七条
日本国は、千九百四十一年十二月七日からこの条約が効力を生ずるまでの期間に日本国の裁判所が行つた裁判について、その裁判が行われた訴訟手続においていずれかのインド国民が原告又は被告として事件について充分に陳述することができなかつた場合があつたときは、当該インド国民がこの条約の効力発生の後一年以内に適当な日本国の機関にその裁判の再審査を申請することができるようにするために、必要な措置を執ることに同意する。日本国は、また、インド国民が前記の裁判の結果損害を受けた場合には、その者をその裁判が行われる前の地位に回復するようにし、又はその者にそれぞれの事情の下において公正且つ衡平な救済が与えられようにすることに同意する。
第八条
(a)締約国は、戦争状態の介在が、戦争状態の存在前に存在した債務及び契約(債権に関するものを含む。)並びに戦争状態の存在前に取得された権利から生ずる金銭債務で、日本国の政府若しくは国民がインドの政府若しくは国民に対して、又はインドの政府若しくは国民が日本国の政府若しくは国民に対して負つているものを支払う義務に影響を及ぼさなかつたものと認め、また、戦争状態の介在が、戦争状態の存在前に財産の滅失若しくは損害又は身体傷害若しくは死亡に関して生じた請求権で、インド政府が日本国政府に対して、又は日本国政府がインド政府に対して提起し又は再提起するものの当否を審議する義務に影響を及ぼさなかつたものと認める。
(b)日本国は、日本国の戦前の対外債務に関する責任と日本国が責任を負うと後に宣言された団体の債務に関する責任とを確認し、また、これらの債務の支払再開に関して債権者とすみやかに交渉を開始する意図を表明する。
(c)締約国は、他の戦前の請求権及び債務に関する交渉を促進し、且つ、これに応じて金額の支払を容易にするものとする。
第九条
(a)日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したために執られた行動から生じたインド及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国の領域におけるインドの軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。
(b)前記の放棄には、千九百三十九年九月一日からこの条約の効力発生までの間に日本国の船舶に関してインドが執つた行動から生じた請求権並びにインドの手中にある日本人捕虜及び被抑留者に関して生じた請求権及び債権が含まれる。但し、千九百四十五年九月二日以後インドが制定した法律で特に認められた日本人の請求権を含まない。
(c)日本国は、占領期間中に占領当局の指示に基いて若しくはその結果として行われ、又は当時の日本国の法律によつて許可されたすべての作為又は不作為の効力を承認し、インド国民をこの作為又は不作為から生ずる民事又は刑事の責任に問ういかなる行動をも執らないものとする。
第十条
この条約又はその一若しくは二以上の条件の解釈又は適用に関して生じた紛争は、第一次には協議によつて、また、協議を開始した後六箇月以内に解釈に至らないときは、締約国間の一般的の又は特別の取極に従つて今後決定される方法による仲裁によつて、解決されなければならない。
第十一条
この条約は、批准されなければならない。この条約は、批准書交換の日に効力を生ずる。批准書は、できる限りすみやかにニュー・デリーで交換されるものとする。
以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。
千九百五十二年六月九日に東京で本書二通を作成した。両国政府は、この条約の日本語及びインド語による本文を本日から一箇月以内に交換するものとする。
日本国のために
岡崎勝男
インドのために
K・K・チェトゥール
「日本外交主要文書・年表(1)」外務省条約局、条約集第30集第41巻より
〇「サンフランシスコ平和条約」とは?
昭和時代中期の1951年(昭和26)9月8日に、第二次世界大戦を終結させるために、アメリカ合衆国など48ヶ国の連合国と日本との間で締結された平和条約でした。
アメリカ合衆国のサンフランシスコでの講和会議に集まって、署名されたので、この名前がありますが、サンフランシスコ条約、サンフランシスコ講和条約、日本国との平和条約とも言います。当時のソビエト連邦、チェコスロバキア、ポーランドは、会議には参加したものの署名を拒否し、インド、ビルマ、ユーゴスラビアは招かれましたが会議に参加せず、中国は会議に招かれなかったので、全面的な講和とはなりませんでした。
この条約は、連合国との戦争状態の終了、主権の回復、領土の放棄または信託統治への移管、戦前の国際協定に基づく権利等の放棄、国際協定の受諾、賠償、安全保障などからなっています。1952年(昭和27)4月28日に発効し、連合国による日本占領が終わったので、日本は一応独立を回復しましたが、沖縄や小笠原諸島、奄美群島は本土復帰までの間、アメリカ合衆国の施政下に残されることになりました。
また、この条約と同じ日に、「日米安全保障条約(旧)」にも調印したので、アメリカ軍の駐留は今日まで続くことになります。