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 今日は、江戸時代中期の1698年(元禄11)に、儒学者・蘭学者青木昆陽の生まれた日ですが、新暦では6月19日となります。
 青木昆陽(あおき こんよう)は、江戸日本橋小田原町(現在の東京都中央区)の商人だった父・佃屋半右衛門の一人息子として生まれましたが、名は敦書(あつのり、あつぶみ)と言いました。
 1719年(享保4)に京都の儒学者伊藤東涯の「古義堂」に入門して儒学を学び、江戸に移って、1721年(享保6)頃に塾を開設します。1733年(享保18)に町奉行与力加藤枝直(かとうえなお)の上申により、により南町奉行・大岡忠相に取り立てられました。
 救荒用の作物として甘藷(サツマイモ)に着目し、1735年(享保20)に『蕃薯考』(ばんしょこう)を著して第8代将軍徳川吉宗に献じ、取り上げられます。翌年には薩摩芋御用掛を拝命し、身分が幕臣となり、甘藷の栽培、普及に努め、「甘藷先生」と呼ばれるようになりました。
 1739年(元文4)御書物方となって全国諸所の古記録の調査に従事、また、オランダ語を学び『和蘭話訳』 (1743年成立) 、『和蘭文字略考』 (1746年成立) を著し、前野良沢に蘭学を継承し、後に蘭学の始祖とも言われるようになります。
 1767年(明和4)には御書物奉行に昇進しましたが、1769年(明和6年10月12日)に、江戸において、流行性感冒に罹り、数え年72歳で亡くなりました。

〇青木昆陽の主要な著作

・『蕃藷考(ばんしょこう)』(1735年)
・『和蘭話訳』(1743年成立)
・『和蘭(おらんだ)文訳』(1746年成立)
・『和蘭文字略考』
・『経済纂要(さんよう)』
・随筆『昆陽漫録』
・『草盧雑談』
・『国家金銀銭譜』
・『諸州古文書』