後三条天皇(ごさんじょうてんのう)は、1034年(長元7年7月18日)に、後朱雀天皇の第2皇子(母・三条天皇の皇女禎子内親王)として生まれましたが、名は尊仁(たかひと)と言いました。1036年(長元9年12月)に、父の即位に伴い、3歳で親王宣下を受けます。
父の死去により、1045年(寛徳2)に義兄の後冷泉天皇が即位すると、12歳で皇太弟となりました。翌年に元服すると大納言藤原能信の養女茂子(実父は中納言藤原公成)を妃とします。
義兄後冷泉天皇の死去にともない、1068年(治暦4年4月19日)に、35歳で即位しましたが、170年ぶりに藤原氏を外戚としない天皇でした。そのため、藤原氏の専権を押え、天皇親政の実現に努力、大江匡房らを重用して一連の改革に着手します。
1069年(延久元)には、「延久の荘園整理令」を発布して、記録荘園券契所を設置、また、成功 (じょうごう) 、重任(ちょうにん)の悪弊を厳禁しました。1070年(延久2)に絹布の制、1072年(延久4)には、延久宣旨枡(標準枡)や估価法の制定などを実施します。
しかし、その年に第1皇子の白河天皇に譲位、その半年後、病のため出家(法名は金剛行)、その後まもなく1073年(延久5年5月7日)に、京都において、数え年40歳で亡くなりました。
〇後三条天皇関係略年表(日付は旧暦です)
・1034年(長元7年7月18日) 後朱雀天皇の第2皇子(母・三条天皇の皇女禎子内親王)として生まれる
・1036年(長元9年12月) 父の即位に伴い、3歳で親王宣下を受ける
・1045年(寛徳2年) 父の死去により、義兄の後冷泉天皇が即位すると、12歳で皇太弟となる
・1046年(寛徳3年) 元服して、大納言藤原能信の養女茂子(実父は中納言藤原公成)を妃とする
・1068年(治暦4年4月19日) 義兄後冷泉天皇の死去にともない、35歳で第71代天皇に即位する
・1069年(延久元年2月) 「延久の荘園整理令」を発布する
・1069年(延久元年閏10月) 記録荘園券契所を設置する
・1070年(延久2年) 絹布の制(絹や布の品質を統一する制度)を出す
・1072年(延久4年8月) 估価法(市場の公定価格や物品換算率を定めたもの)を制定する
・1072年(延久4年9月) 延久宣旨枡(標準枡)を制定する
・1073年(延久4年12月8日) 第1皇子の白河天皇に譲位する
・1073年(延久5年1月) 院蔵人所を設置する
・1073年(延久5年) 病のため出家(法名は金剛行)する
・1073年(延久5年5月7日) 京都において、数え年40歳で亡くなる