藤原為家(ふじわら の ためいえ)は、鎌倉時代の1198年(建久9)に、歌人で『新古今集』、『新勅撰集』選者として知られる父・藤原定家の三男(母は内大臣藤原実宗の娘)として生まれました。1205年(元久2)に母方の祖父・藤原実宗邸で元服を行い、伯父・西園寺公経の猶子となります。
若い頃は、蹴鞠(けまり)に執心して、後鳥羽・順徳両院の寵を被り、定家を悲しませたものの、1221年(承久3)の承久の乱で順徳上皇と別れたのち、『為家卿千首』(1223年)を詠むなど作歌に精進し、1226年(嘉禄2年)には参議として公卿に列しました。その後、1236年(嘉禎2)に権中納言、1241年(仁治2)に父・定家が亡くなるとその後継者となり、父を越える権大納言にまで昇ります。
後嵯峨院歌壇の中心的存在となり、1251年(建長3)には、『続後撰和歌集』を単独で選進しましたが、1256年(康元元)に出家して、融覚、また静真と号します。また、『続古今和歌集』(1265年)の選者にも名を連ね、穏健正雅の風で知られ、『新勅撰和歌集』以下の勅撰集に332首が入集しました。
晩年は、側室安嘉門院四条(阿仏尼)とその子の為相らを愛しましたが、1275年(建治元年5月1日)に京都において、数え年78歳で亡くなっています。
尚、死後は子孫が3家(二条家・京極家・冷泉家)に分立することとなりました。
<藤原為家の代表的な歌>
「はやせがは なみのかけこす いはきしに こぼれてさける 山ぶきのはな」(「続古今和歌集」)
「風わたる 浜名の橋の 夕しほに さされてのぼる あまの釣舟」(「続古今和歌集」)
〇藤原為家の主要な著作
・家集『為家卿千首』(1223年)
・『続後撰(しょくごせん)和歌集』(1251年)の撰者
・『続古今和歌集』(1265年)の撰者の一人
・注釈書『古今序抄』
・注釈書『後撰集正義』
・家集『大納言為家集』
・家集『為家集』
・家集『中院集』
・家集『中院詠草』
・家集『別本中院集』
・歌学書『詠歌一体(えいがのいったい)(八雲口伝)』