桜木町事故(さくらぎちょうじこ)は、当時の日本国有鉄道(国鉄)東海道本線支線(現在は根岸線の一部・京浜東北線)桜木町駅構内で発生した電車火災事故でした。その日の13時40分過ぎに、赤羽発桜木町行き5両編成の電車が桜木町駅ホームに進入する直前、切れて垂れていた架線が最前部パンタグラフに絡みついて、その火花から出火します。
車両は旧式の63型で、鉄骨に木板を張っただけのために燃えやすく、他の車両への往来が不自由で、窓には桟を打ちつけてあって開口部が狭く、自動扉で非常の際に戸を開ける手動コックの所在も、乗客には知らされていなかったので、脱失できずに焼死する人が多数出ました。
直接原因は、架線工事のミスとされますが、鶴見変電区の高速度遮断機が給電停止しなかったことと、電車の構造上の問題および乗務員の誘導ミスが重なっての大惨事とされています。
これを教訓に、国鉄電車の車両改造が促され、貫通扉の整備、パンタグラフおよび屋根部の絶縁強化、不燃材料の採用による防火対策などが進み、非常用ドアコックの表示も「非常の時にはこのコックを開いて扉を手で開けて下さい」と記されるようになりました。
この事故は、その後国鉄で起きた洞爺丸事故(1954年)、紫雲丸事故(1955年)、三河島事故(1962年)、鶴見事故(1963年)と共に、国鉄戦後五大事故と呼ばれるようになります。
〇国鉄戦後五大事故
・桜木町事故 1951年(昭和26)4月24日 東海道本線(現在の根岸線)桜木町駅構内で車両火災が発生(106人死亡・92人負傷)
・洞爺丸事故 1954年(昭和29)9月26日 青函連絡船・函館沖 「洞爺丸」など連絡船5隻が洞爺丸台風にあおられ沈没(1,430人死亡)
・紫雲丸事故 1955年(昭和30)5月11日 宇高連絡船・女木島沖 「紫雲丸」が貨物船の「第三宇高丸」と衝突し沈没(166人死亡・122人負傷)
・三河島事故 1962年(昭和37)5月3日 常磐線三河島駅構内で下り貨物列車に下り電車が衝突、さらに上り電車が突っ込む三重衝突(160人死亡・296人負傷)
・鶴見事故 1963年(昭和38)11月9日 東海道本線鶴見駅~新子安駅間で下り貨物列車に上りの電車が衝突、さらに下り電車が突っ込む三重衝突(161人死亡・120人負傷)
〇太平洋戦争後の列車大事故(死者100人以上)
・1947年(昭和22)2月25日 八高線事故(死者184人・負傷者67人)
・1951年(昭和26)4月24日 桜木町事故(死者106人・負傷者92人)
・1962年(昭和37)5月3日 三河島事故(死者160人・負傷者296人)
・1963年(昭和38)11月9日 鶴見事故(死者161人・負傷者120人)
・2005年(平成17)4月25日 宝塚線(福知山線)事故(死者107人・負傷者562人)