政体書(せいたいしょ)は、明治新政府が発布した、明治維新当初の政治組織(政体)を規定した布告書でした。「五箇条の御誓文」の趣旨の実現を目的とし(第1条)、権力は太政官集中とするものの三権分立主義をとり(第2条)、立法官と行政官の兼職禁止(第3条)、藩士平民より人材を登用(第4条)、公儀輿論の場をつくる(第5条)、各官の任期を4年とし、2年ごとに半数を改選する(第9条)、議政、行政、神祇、会計、軍務、外国、刑法の七官を定め、地方制度は府・藩・県の三治制と定め、官位等級は一等から九等まで規定する(第13条)など15ヶ条からなっています。
福岡孝弟(たかちか)・副島種臣(たねおみ)が、アメリカ合衆国憲法、アメリカのブリッジマン著『聯邦志略』、ホイートン著『万国公法』、あるいは福沢諭吉著『西洋事情』、日本の古典である『令義解(りょうのぎげ)』、『職原抄』。『雲上明覧』『大武鑑』など内外のものを参考として、起草しました。
しかし、この制度は当時の国情に合わず、明治新政府の権力基盤が固められに伴って色あせ、1869年(明治2)の版籍奉還後、5月には三等官以上の選挙で輔相・議定・参与以下が選ばれたりしたものの、7月8日に新たに発布された職員令によって、太政官は二官六省体制に改められ、1年あまりで三権分立はくずれていき、官吏公選も結局1度実施されただけに終わります。
以下に、「政体書」(慶応4年太政官達第331号)を掲載(注釈付)しておきますので、ご参照下さい。
〇「政体書」」(慶応4年太政官達第331号) 1868年(慶応4年閏4月21日)発布 同年4月27日頒布
去冬[1] 皇政維新[2]纔ニ[3]三職ヲ置キ続テ八局ヲ設ケ事務ヲ分課スト雖モ兵馬[4]倉卒[5]之間事業未タ恢弘[6]セス故ニ今般 御誓文[7]ヲ以テ目的トシ政体[8]職制被相改候ハ徒ニ変更ヲ好ムニアラス従前未定之制度規律次第ニ相立候訳ニテ更ニ前後異趣[9]ニ無之候間内外百官[10]此旨ヲ奉体[11]シ確定守持根拠スル所有テ疑惑スルナク各其職掌ヲ尽シ万民保全之道開成永続センヲ要スルナリ
慶応四年戊辰閏四月 太政官[12]
政体
一 大ニ斯国是[13]ヲ定メ制度規律ヲ建ツルハ 御誓文[7]ヲ以テ目的トス
一 広ク会議ヲ興シ万機[14]公論[15]ニ決ス可シ
一 上下[16]心ヲ一ニシテ盛ニ経綸[17]ヲ行フヘシ
一 官武[18]一途庶民ニ至ルマテ各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン[19]事ヲ要ス
一 旧来ノ陋習[20]ヲ破リ天地ノ公道[21]ニ基ク可シ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ 皇基[22]ヲ振起ス可シ
右 御誓文[7]ノ条件相行ハレ不悖[23]ヲ以テ旨趣トセリ
一 天下ノ権力総テコレヲ太政官[12]ニ帰ス則チ政令二途ニ出ルノ患無カラシム[24]太政官[12]ノ権力ヲ分ツテ立法行法司法ノ三権[25]トス則偏重ノ患無カラシムルナリ
一 立法官ハ行法官ヲ兼ヌルヲ得ス行法官ハ立法官ヲ兼ヌルヲ得ス但シ臨時都府巡察ト外国応接トノ如キ猶立法官得管之
一 親王公卿諸侯ニ非ルヨリハ其一等官ニ昇ルヲ得サル者ハ親親敬大臣ノ所以ナリ藩士庶人[26]ト雖トモ徴士[27]ノ法ヲ設ケ猶其二等官ニ至ルヲ得ル者ハ貴賢ノ所以ナリ
一 各府各藩各県[28]皆貢士[29]ヲ出シ議員トス議事ノ制ヲ立ツル者ハ輿論[30]公議[31]ヲ執ル所以ナリ
一 官等ノ制ヲ立ツルハ各其職任ノ重キヲ知リ敢テ自ラ軽ンセシメサル所以ナリ
一 僕従[32]ノ儀親王公卿諸侯ハ帯刀[33]六人小者[34]三人其以下ハ帯刀[33]二人小者[34]一人盖シ尊重ノ風ヲ除テ上下隔絶[35]ノ弊ナカラシムル所以ナリ
一 在官人私ニ自家ニ於テ他人ト政事ヲ議スル勿レ若シ抱議面謁[36]ヲ乞者アラハ之ヲ官中ニ出シ公論[15]ヲ経ヘシ
一 諸官四年ヲ以テ交代ス公選入札ノ法[37]ヲ用フヘシ但今後初度交代ノ時其一部ノ半ヲ残シ二年ヲ延シテ交代ス断続宜シキヲ得セシムルナリ若其人衆望ノ所属アツテ難去者ハ猶数年ヲ延サヽルヲ得ス
一 諸侯以下農工商各貢献ノ制ヲ立ツルハ政府ノ費ヲ補ヒ兵備ヲ厳ニシ民安ヲ保ツ所以ナリ故ニ位官ノ者亦其秩禄[38]官給[39]三十分ノ一ヲ貢スヘシ
一 各府各藩各県[28]其政令ヲ施ス亦 御誓文[7]ヲ体スヘシ唯其一方ノ制法ヲ以テ他方ヲ概スル勿レ私ニ爵位ヲ与フ勿レ私ニ通宝[40]ヲ鋳ル勿レ私ニ外国人ヲ雇フ勿レ隣藩或ハ外国ト盟約ヲ立ツル勿レ是小権ヲ以テ大権ヲ犯シ政体[8]ヲ紊ル[41]ヘカラサル所以ナリ
一 官職
太政官[12]分為七官
○議政官 (略)
○行政官 (略)
○神祇官 (略)
○会計官 (略)
○軍務官 (略)
○外国官 (略)
○刑法官 (略)
地方官分為三官
○府
知府事 一人
掌繁育[42]人民富殖[43]生産敦教化収租税督武役知賞刑[44]兼監府兵[45]
判県事 二人
○藩
諸侯
○県
知県事
掌繁育[42]人民富殖[43]生産敦教化収租税督武役知賞刑[44]兼制郷兵[46]
判県事
一 官等
○第一等官
輔相
議定
知官事
一等海陸軍将
○第二等官
参與
副知官事
知府事
二等海陸軍将
○第三等官
議長
辨事
判官事
判府事
一等知縣事
三等海陸軍将
以上三等官外国ニ對シ大臣ト稱ス
○第四等官
権辨事
権判官事
権判府事
二等知縣事
○第五等官
史官
知司事
三等知縣事
一等辨縣事
○第六等官
二等辨縣事
一等譯官
○第七等官
書記
三等判縣事
判司事
二等譯官
○第八等官
管掌
守辰
筆生
三等譯官
○第九等官
譯生
使部
一 諸法制別ニ載ス
一 右諸官有司此規律ヲ守リ以テ失フナカル可シ若改革セント欲スルノ条件アラハ大会議ヲ経テ之ヲ決ス可シ
『法令全書』より
【注釈】
[1]去冬:きょとう=去年の冬。昨冬。
[2]皇政維新:こうせいいしん=明治維新のこと。
[3]纔ニ:ひたたに=わずかに。ついちょっと。
[4]兵馬:へいば=兵士と軍馬。転じて、軍備・軍隊。また、戦争。
[5]倉卒:そうそつ=あわただしいこと。忙しくて落ち着かないこと。また、そのさま
[6]恢弘:かいこう=事業や制度などを押し広めること。
[7]御誓文:ごせいもん=1868年(慶応4年3月15日)に公示された「五箇条の御誓文」のこと。
[8]政体:せいたい=政治組織。
[9]異趣:いしゅ=普通と異なったおもむき。風変わり。
[10]百官:ひゃっかん=数多くの役人。
[11]奉体:ほうたい=うけたまわって、よく心にとめること。また、それを実行すること。
[12]太政官:だじょうかん=明治維新政府の最高官庁。
[13]国是:こくぜ=国政の基本方針。
[14]万機:ばんき=すべての政治。国家のまつりごと。
[15]公論:こうろん=公平な議論。
[16]上下:じょうげ=身分の上下。
[17]経論:けいろん=国家を治め整えること。国の政策。
[18]官武:かんぶ=公家と武家。
[19]倦マサラシメン:うまさらしめん=人々の気持ちを飽きさせない。
[20]旧来ノ陋習:きゅうらいのろうしゅう=昔からの悪習。ここでは攘夷の風潮のこと。
[21]天地ノ坑道:てんちのこうどう=世界共通の正しい道理。国際法のこと。
[22]皇基:こうき=皇国のもとい。天皇国家の基礎。
[23]不悖:もとらざる=道理にそむいていない。
[24]二途ニ出ルノ患無カラシム:にとにでるのうれいなからしむ=政令が2つ以上出され、混乱する事態を除く。
[25]立法行法司法ノ三権:りっぽうぎょうほうしほうのさんけん=立法・行政・司法の三権分立のこと。
[26]庶人:しょじん=世間一般の人々。庶民。衆人。
[27]朝廷または政府に召し出された人士。明治新政府に召し出された議事官。諸藩士・庶民から有能な者が選ばれ、議事所で国政の審議にあたった。
[28]各府・各藩・各県:かくふ・かくはん・かくけん=「政体書」により9府22県273藩の3治制となり、府県には知県事・判事、藩には従来通り藩主がいた。
[29]貢士:こうし=明治維新当初、藩主の推挙により選出され、下の議事所のち議政官下局、ついで貢士対策所に出仕した議事官。
[30]輿論:よろん=世間の大多数の人の意見。一般市民が社会や社会的問題に対してとる態度や見解。
[31]公議:こうぎ=おおやけに論議すること。また、多くの人が認めて支持する議論。
[32]僕従:ぼくじゅう=めしつかい。しもべ。従僕。
[33]帯刀:たちはき=太刀を帯びること。また、その人。
[34]小者:こもの=武士に雇われ、雑事に使役されたもの。
[35]隔絶:かくぜつ=かけ離れていること。遠くへだたっていること。
[36]面謁:めんえつ=貴人に会うこと。お目にかかること。拝謁。
[37]公選入札ノ法:こうせんにゅうさつのほう=公選制度。選挙。
[38]秩禄:ちつろく=官等の次第によって賜る俸禄。特に、明治新政府が華族・士族に与えた家禄と賞典禄。
[39]官給:かんきゅう=政府が金品を支給すること。また、そのもの。
[40]通宝:つうほう=広く一般に流通する貨幣。
[41]紊ル:みだる=ばらばらの状態にする。秩序をなくする。また、物事を平穏でなくする。
[42]繁育:はんいく=多く育むこと。
[43]富殖:ふしょく=ふやすこと。また、繁栄していること。
[44]賞刑:しょうけい=恩賞と刑罰。
[45]府兵:ふへい=明治2年に兵部省は各藩から兵士を選抜して府兵を組織して東京府の警察事務を行わせたが、その他の各地方にも府兵が置かれた。
[46]郷兵:きょうへい=民間から募集して、その地で訓練し、守備兵にしたもの。