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 今日は、明治時代後期の1912年(明治45)に、小説家源氏鶏太の生まれた日です。
 源氏鶏太(げんじ けいた)は、富山県富山市で、父が富山の置き薬売りをしていた家の7人兄弟の末っ子として生まれましたが、本名は田中富雄と言いました。旧制富山商業学校(現在の県立富山商業高等学校)へ入学、在学中から詩作に励み、詩誌『新詩脈』の同人となります。
 1930年(昭和5)に同校卒業後、大阪の住友合資会社(1937年に住友本社に改組)に入社、サラリーマン生活を送るかたわら懸賞小説に応募し、1934年(昭和9)に『村の代表選手』で「報知新聞」ユーモア小説受賞、『あすも青空』で「サンデー毎日」大衆文芸欄佳作へ入選しました。太平洋戦争下で、1944年(昭和19)に海軍に召集され、舞鶴防衛隊に配置、のち電探兵となって終戦を迎えます。
 戦後、会社に復帰しましたが、副業として執筆を続け、1947年(昭和22)に短編『たばこ娘』を「オール讀物」に発表、翌年には「大阪新聞」に初の長編『女炎なすべし』を連載、同年最初の単行本として出版されました。1951年(昭和26)に『英語屋さん』、『颱風(たいふう)さん』、『御苦労さん』で第25回直木賞を受賞、ついで、同年8月から翌年4月にかけて「サンデー毎日」に連載された『三等重役』が大ヒットし、流行作家となります。
 1956年(昭和31)には、作家に専念するため、勤続25年目で会社を退職し、ユーモアとペーソスに富むサラリーマン小説のほか妖怪ものや老人ものも手がけました。1958年(昭和33)より、直木賞選考委員も務めましたが、初期・中期の作品は、大半が映画化またはドラマ化され、人気を集めます。
 1971年(昭和46)に、『幽霊になった男』、『口紅と鏡』で第5回吉川英治文学賞を受賞、1976年(昭和51)には紫綬褒章を受けたものの、1985年(昭和60)9月12日に、東京において、73歳で亡くなりました。

〇源氏鶏太の主要な著作

・『村の代表選手』(1934年)「報知新聞」ユーモア小説受賞
・『あすも青空』(1934年)「サンデー毎日」大衆文芸欄佳作入選
・『女炎なすべし』(1948年)
・『浮気の旅』(1948年)
・『英語屋さん』(1951年) 第25回直木賞受賞
・『颱風さん』(1951年) 第25回直木賞受賞
・『御苦労さん』(1951年) 第25回直木賞受賞
・『ホープさん』(1951年)
・『三等重役』(1951~52年)
・『七人の孫』(1955年)
・『天上大風』(1956年)
・『重役の椅子』(1957年)
・『青空娘』(1957年)
・『停年退職』(1962年)
・『幽霊になった男』(1970年)第5回吉川英治文学賞受賞
・『口紅と鏡』(1970年)第5回吉川英治文学賞受賞
・『永遠の眠りに眠らしめよ』 (1977年)