師範学校令(しはんがっこうれい)は、いわゆる「学校令」の一つとして、「小学校令」(明治19年勅令第14号)、「中学校令」(明治19年勅令第15号)と同日に発布された教員を養成する学校に関するものでした。
すでに、1872年(明治5)に、東京に官立師範学校が創設され、のち次第に各府県に公立師範学校が設けられていましたが、それらを全国的に規定し、師範学校の基礎を確立することになります。
文部大臣に就任した森有礼は、「国民教育の根本は師範教育にある」(以下の埼玉県師範学校視察の際の演説を参照)として、師範教育の理念を制度の上においても実現し、小学校・中学校・帝国大学とは全く別個に独立した教員養成のための師範学校制度を確立しようとしたものでした。
そして、教員の資質として「生徒ヲシテ順良信愛威重ノ気質ヲ備へシムルコトニ注目スヘキノモノトス」(第1条)と規定し、師範学校を高等・尋常の二つに分け(第2条)、高等師範学校は吏京に一箇所、尋常師範学校は府県に各一箇所を設置(第3条)、高等師範学校の経費は国庫より、尋常師範学校の経費は地方税から支出(第4条)、生徒の学資は学校が支給し(第9条)、高等師範学校の生徒は卒業後、原則として尋常師範学校の校長および教員に任命され(第10条)、尋常師範学校の生徒は卒業後、原則として公立小学校の校長および教員に任命される(第11条)、師範学校の学科およびその程度ならびに教科書は文部大臣の定めるところによる(第12条)、などと定めます。
その後、同年5月26日「尋常師範学校ノ学科及其程度」(女生徒については明治22年10月)、同月28日「生徒募集規則および卒業生服務規則」(尋常師範学校の入学資格を高等小学校卒業以上の学力を有し17歳以上20歳以下の者、修業年限を4年と規程)、同年6月4日「尋常師範学校男生徒の学資支給に関する件」、1888年(明治21)8月21日「尋常師範学校設備準則」を定めました。高等師範学校については、1886年(明治19)10月14日「高等師範学校ノ学科及其程度」、「高等師範学校生徒募集規則」および「高等師範学校卒業生服務規則」を定めています。
1898年(明治31)4月1日の「師範教育令」(明治30年10月9日勅令第346号)の施行により廃止され、女子高等師範が独立するとともに、中等学校教員を養成するための高等師範学校と区別して、小学校教員養成のための尋常師範学校を単に師範学校と称することとなりました。
尚、師範学校は太平洋戦争中の改組を経て、戦後1947年(昭和22)の「学校教育法」により廃止され、1949年(昭和24)以降、新制大学の教育学部または学芸大学に再編されています。
〇師範学校とは?
明治時代初期から太平洋戦争後の教育改革まで存続した、主に初等教育の教員養成を目的に設けられた旧制の学校です。
1872年(明治5)の「学制」公布の際、東京に官立師範学校が創設され、のち次第に各府県に公立師範学校が設けられ、1886年(明治19)に「学校令」の一つ、「師範学校令」により制度として確立されました。入学資格は高等小学校卒業以上の学力を有し17歳以上20歳以下の者、修業年限を4年(のち5年)と規程されます。
生徒の学資(無月謝・給費制)は学校が支給(地方税負担)することになっていたため、経済的に恵まれない者が多く入学したとされ、その代償措置としての服務義務制(卒業後一定年限、管内の初等学校に奉職する義務)があり、また、全員入寮の寄宿舎制(舎監の厳しい監督のもとで規則に支配され、没個性化・画一化された)などを特徴としました。
1898年(明治31)4月1日の「師範教育令」の施行により、女子高等師範が独立するとともに、中等学校教員を養成するための高等師範学校と区別して、小学校教員養成のための尋常師範学校を単に師範学校と称することとなります。1907年(明治40)に同本科に二部を置き、従前の高等小学校からの進学のほか、中等学校卒業後に入学する道も開かれました。
太平洋戦争中の1943年(昭和18)には、専門学校と同程度の教育機関となり、府県立から官立に昇格します。これらによって、強い統制の下で国家主義的教育を行ない、軍国主義教育を行う教師を生み出したとされ、戦後1947年(昭和22)の「学校教育法」により廃止されました。そして、1949年(昭和24)以降、新制大学の教育学部または学芸大学に再編されています。
〇森有礼の文部省御用掛として埼玉県師範学校視察の際の演説(明治18年)
「夫れ政府及文部省に於て普通教育を重んぜらるゝは諸子の既に了知せらるゝ所なれば、今殊更に喋するを要せざるなり。然るに其普通教育をして益々善良に赴かしめんとする上に於て最も注意を要すべきものは、府県立の師範学校と文部省直轄の師範学校となり。此の師範学校にして其生徒を教養し完全なる結果を得ば、普通教育の事業は巳に十分の九を了したりと云ふを得べし。否之を十分成し得たりと云ふも可ならん。如何となれば若学校にして教員其人を得ざれば、縦令資金饒にして器具備はると雖、普通教育は未だ其功を奏したりと云ふべからず。普通教育其功を奏するは実に教員其人を得るに在るのみ。〔中略〕苟も日本男児たらんものは、我日本国が是迄三等の地位に在れば二等に進め、二等に在れば一等の地位に進め、遂には万国に冠たらんことを勉めざるべからず。然れども之を為す、固より容易の事にあらず。唯恃む所は普通教育の本源たる師範学校に於て能く其職を尽すに在り。蓋師範学校にして生徒の教育管理経済等に注意し其基礎を固ふするは之が第一着なりとす。尚此外にも国運を進むるの方法許多あるべしと雖、十中八九は此師範学校の力に依らずんばあらず。」
「文部省ホームページ」より
〇「師範学校令」(明治19年4月10日勅令第13号)全文
朕師範学校令ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
師範学校令(明治十九年四月十日勅令第十三号)
第一条 師範学校ハ教員トナルヘキモノヲ養成スル所トス
但生徒ヲシテ順良信愛威重ノ気質ヲ備ヘシムルコトニ注目スヘキモノトス
第二条 師範学校ヲ分チテ高等尋常ノ二等トス高等師範学校ハ文部大臣ノ管理ニ属ス
第三条 高等師範学校ハ吏京ニ一箇所尋常師範学校ハ府県ニ各一箇所ヲ設置スヘシ
第四条 高等師範学校ノ経費ハ国庫ヨリ尋常師範学校ノ経費ハ地方税ヨリ支弁スヘシ
第五条 尋常師範学校ノ経費ニ要スル地方税ノ額ハ府知事県令其予算ヲ調整シ文部大臣ノ認可ヲ受クヘシ
第六条 師範学校長及教員ノ任期ハ五箇年トス満期ノ後猶ホ継続スルコトアルヘシ
第七条 尋常師範学校長ハ其府県ノ学務課長ヲ兼ヌルコトヲ得
第八条 師範学校生徒ノ募集及卒業後ノ服務ニ関スル規則ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依ル
第九条 師範学校生徒ノ学資ハ其学校ヨリ之ヲ支給スヘシ
第十条 高等師範学校ノ卒業生ハ尋常師範学校長及教員ニ任スヘキモノトス但時宜ニ依リ各種ノ学校長及教員ニ任スルコトヲ得
第十一条 尋常師範学校ノ卒業生ハ公立小学校長及教員ニ任スヘキモノトス但時宜ニ依リ各種ノ学校長及教員ニ任スルコトヲ得
第十二条 師範学校ノ学科及其程度並教科書ハ文部大臣ノ定ムル所ニ依ル
「文部省ホームページ」より